カメラに向けられた鋭い眼光で、いま彼はなにを見ているのか?
30年以上にもわたり、UKアンダーグラウンド界から音楽の真理を探求してきた哲人、アンドリュー・ウェザオール。その活動はメジャーシーンで活躍するアーティストのプロデュースからリミックス、そして様々な名義を使い分けた作品群の数々など実に多岐にわたる。

その多様さ、膨大さは彼を端的に、“こういったジャンルのアーティスト”と説明しにくくしているひとつの要因である。
さらに彼は、幾度となく世界的な音楽ムーヴメントに直接関わり、影響を及ぼしながら、常にその“影”でも動いてきた人物でもある。

朧げながら長年シーンに見え隠れする巨人。その大きさはわかるが、人となりははっきりしない(音楽性は作品によって理解できるが、それもジャンルのカテゴライズは難しい)。そんなイメージがある。

そんなアンドリュー・ウェザオールが自身名義では2作目、7年ぶりとなる新作「Convenanza」をリリースし4月には来日ツアーを予定している。
この貴重なタイミングを活かし、小誌ではアンドリュー・ウェザオールの独占インタビューを敢行。

ただ今回は、新作についてではなく、アンドリュー・ウェザオールという“人間”“アーティスト”に迫る特集を組んでみようと思う。

年の暮れも押し迫った時期に、アンドリュー・ウェザオールは長時間にわたり、自らのキャリアを振り返ってくれた。

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――今回のインタビューは、日本のクラブカルチャー誌「FLOOR」に掲載されるのですが……

ってことは、いまだに日本にクラブカルチャーがあるんだな。
クラブがどんどんと閉鎖されていると聞いていたから、良かった。

――ニューアルバム「Convenanza」のリリースタイミングであなたのキャリア、人となりに改めてフォーカスしたいと思っています。
あなたの幼少期のころのエピソードはあまり知られていないのですが、どのような家庭で育ったのですか?

最初からかなりパーソナルな質問だな(笑)。
俺の幼少期について語るには、まず1時間かけてイギリスの階級システムについて語る必要がある。
でもまあ、それを省くと、俺は60年代初めに生まれた。多くの労働者階級の人々が中流階級になりたがっていた時代だ。
俺の両親は労働者階級だったけど、俺の父親はうちの家系で初めてちゃんとした教育を受けて、すごく野心があった。
両親はベストを目指していて、俺にもそれを求めていた。でも、彼らが思うベストと俺が思うベストは違っていから、俺と両親の間には理想の違いがあったんだ。
で、パンク・ロックの時代が到来して、俺はますます尖っていった。

――パンクはロンドンから生まれて、労働者階級から熱烈な支持を獲得して、発展していきました。

ちょうど1976年。俺が13歳の時、セックス・ピストルズやクラッシュが最初のレコードをリリースした頃だな。

ロンドンから15マイル離れた郊外に住んでいて……でも10代の俺にとっては、15マイルが15,000マイルみたいに感じられた。
ロンドンはいつも夢の場所だった。俺は中流階級の教育を受けていたけど、退学になって18歳の時に家を追い出された。

そのときに初めてタトゥーを入れたんだ。30年以上も前は、犯罪者が入れるものというイメージだったんだ。
労働者階級の象徴でもあったし、中流階級になりたかった俺の両親は、タトゥーを入れてほしくなかったのさ。

俺はビニール袋ふたつに服を詰め込んで家を出た。友人の家に泊めてもらって、仕事を見つけて自分で生活するようになった。
あの歳でそこまで自立出来たというのは、俺の人生の中でもベストな経験だと思う。要は問題児だったんだよ(笑)。

――子どもの頃にヒーローはいましたか?

やはりミュージシャンの誰かだろうね。
テレビをつければ、デヴィッド・ボウイやT・レックス、スレイドなどが出ていた。
俺のヒーローは、グラム・ロックのミュージシャンたちだったと思う。彼らは、すべてが白黒だった古臭い中流階級の考え方に、カラフルさと変化をもたらした。

彼らが俺の最初のヒーローで、その後はジョン・ライドン、ジョー・ストラマー、ミック・ジョーンズといったパンク・ロックのミュージシャンが俺のヒーローになった。

――では、最初に買ったレコードは覚えていますか?

たぶん、ウィザードというバンドの『Eddy and the Falcons』というアルバムだったと思う。
この前、たまたまスタジオで見つけたら、1974年と書いてあったから、俺が11歳の頃の作品だね。

その後に、デヴィッド・ボウイやモット・ザ・フープルを買ったんだと思う。

俺は50年代のロックンロールが大好きなんだ。
『マイウェイ・マイ・ラブ』(原題『That’ll Be The Day』)というデヴィッド・エセックスの有名な映画があるんだけど、このサウンドトラックからはかなり影響を受けた。
バディ・ホリーの曲からタイトルをとっていて、50年代後半のイギリスのロックンロールからR&Bへの転換期を描いているんだ。

――あなたがファンジン『Boy’s Own』を立ち上げたことはよく知られていますが、それ以前はどのような活動を?
ちょうど70~80年代のUKはパンクからポスト・パンクへと移行していった時期かと思いますが、シーンとどのようにリンクしていましたか?

『Boy’s Own』を始める前は、ステージ・ハンドといって映画のセットを組み立てる仕事をメインにしていた。

その後に、プライマル・スクリームのアセテート盤を握って、仕事の面接に行ったのも覚えているね。

その頃は、まだ音楽は作っていなかったけど、ロンドンのクラブに行って遊んでいた。ポスト・パンクも聴いていたね。
業界に直接関わっていなかったけど、楽しんでいたよ。俺は郊外に住む子どもで、電車でロンドンに行き、終電を逃さないように、酔い過ぎないようにしていただけさ(笑)。

――ファンジン「Boy’s Own」ではどのような仕事をしていたのですか?
やはり音楽中心の記事を執筆していたのですか。

俺もみんなも好きなことを書いていたよ。
サッカーや政治、とにかく自分が興味のあることさ。

音楽について書きたいときは書いていたけど、特定していたわけじゃない。それがファンジンの良いところで、プレッシャーがなく好きなことを書いていた。

80年代の半ばだったから、コンピューターのない時代さ。
手書きの原稿をタイピングしてくれる友達がいたり、製作の様子がいまとは全然違う。オフィスの机には、糊やはさみ、ペン、たくさんの紙が散らばっていた。

最初の号がクラブに置かれたとき、みんなが俺たちのことをアホだと言っていた(笑)。
『クラブはハイになる場所なのに、誰がこんな雑誌を買うんだ』ってね。

いまはKindleなど電子書籍があるが、そういったものからは“匂い”や“質感”もない。つまり“経験”を感じることができないんだ。
俺は古本を買って、俺の前は誰がこの本を持っていたんだろう、どんな歴史があるんだろうって考えるのが好きなんだ。

後編(1月22日公開予定)に続く!

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ANDREW WEATHERALL
『Convenanza』

ROTTERS GOLF CLUB / Beat Records
1月22日発売
Available on beatkart

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『RAINBOW DISCO CLUB 2016』
2016/4/29 FRI~5/1 SUN

会場 : 東伊豆クロスカントリーコース特設ステージ
www.rainbowdiscoclub.com
一般発売チケット(15,000円) 2月より発売開始予定
チケット:楽天チケット

2016/4/30 SAT @WOMB
先行発売 1/22(FRI) 一般発売 2/6 (SAT)
www.womb.co.jp

2016/5/1 SUN @CIRCUS
www.circus-osaka.com