アメリカはネバダ州にある砂漠、Black Rock Cityにて開催される『Burning Man』。
それは与えることを喜びとし商業主義と決別。本来の自分を表現し、今を全力で生きる……。
10の原理のもと既存の社会から逸脱し、参加するものの精神を開拓する、世界でも例をみない音楽とアートの祭典。
他のフェスとは一線を画す本祭に、昨年初参加したのは光のアートクルーMIRRORBOWLERの家元・打越俊明氏に話を訊いた。実際に体験したものにしかわからない、『Burning Man』の真実を伝えよう。
憧れの『Burning Man』への参加を促す運命の出会い
——まずは、今回『Burning Man』に参加することになったきっかけは?
以前から『Burning Man』にアート製作で参加したくて、過去には“Burning Man ART GRANT(助成金)”の申請をしたこともありました。でも、なかなか実現せず……今回も諦めていたとき、友人の紹介で日本に来ていたアメリカ人のキースが僕らの展示を見て、Black Rock Lighthouse Service(BRLS)に話を繋いでくれたんです。
BRLSは構想3年以上のプロジェクトで、そのミーティングに参加していたキースがリーダーのMax Poyntonを紹介してくれたんです。彼は『Burning Man』に展示される各灯台のインテリア製作ができる人を探していたようで、僕らはその引き合いに出されたところ満場一致、即決で今回のコラボが決まり、半年以上かけて内容を詰めていきました。
——アメリカまでの渡航費はクラウドファンディングで集めたそうですね。
BRLSは『Burning Man』からの助成金を受けていたようですが、それだけでは製作費が足りず、日本で長期にわたりクラウドファンディングをしました。アメリカではクラウドファンディングがアートの製作において(制作費を集める上で)一般的な手法なんですよ。『Burning Man』にアート製作で参加しているチームのほとんどがそこで予算をまかなっているらしいです。
僕らもクライアントや予算がある訳ではなかったので、自分たちの出資とクラウドファンディングで制作費と渡航費を募りました。
砂漠という過酷な状況に挑む
本祭への輝かしき第一歩
——『Burning Man』の会場となる砂漠のBlack Rock City。そこで作品を完成させるまでのプロセスを教えてもらえますか。
BRLSの話がある前に、キースからはひとまず『Burning Man』にお客として参加してその雰囲気ややり方を掴んだ方がいいと勧められたんですが、行くのであればどんなところであろうと製作をしに行きたいと強く押し切ったんです。ただ、そうは言ったものの実際に海外の何も知らない場所、しかも砂漠という劣悪な環境で作品を製作した前例もなかったので、準備に関しては手探りで本当に難しかったです。
——最初に取り組んだことは何だったんですか?
Maxから送られて来る図面をもとに打ち合わせを行い、スケッチを描きだし、同時に電源や各部署の担当者とメールでやりとりをしました。ただ、作品は巨大な構造物で内容も変わり続け、最終的な図面があがってきたのが7月上旬。それが送られてきたと同時にラフを完成させ、資材の手配をしましたね。
僕らの作品を事前に見てくれていたBRLSのメンバーはとても協力的で、やりたいことは全力でサポートすると言ってくれていたので安心感はありました。その後、ミラーボールを現地で購入し、飛行機で持ち込めないサイズの大きな資材は早い段階で送り、それ以外の部材はBRLSに普段日本で使用しているフレームのサンプルを送って、同じものを120体作ってもらいました。
アメリカで待ち構える障壁の数々を乗り越え
MIRRORBOWLERは一路現地へ
——製作前に不安などはありませんでした?
肝心の照明機材などは、普段僕らが使用しているものを現地で見つけることができず、かなりイラつきましたね。砂漠に持っていくとなるとレンタルもできず、自分の表現をするためには持参する以外に方法はなくて。日本から海外に展示品を運ぶ際には関税が免除されるカルネ(一時輸出)というシステムがあり、それを活用したかったんですけど、アメリカではそのシステムが協定になく、業者を通して手続きをするか現地の空港の税関と直接折り合いをつけるしかなかったんです。
もちろん、業者に頼めば全てやってくれるんですが、その予算もなくて。賭けではあったんですが、一番お金がかからずに行く方法として、可能な限り部材をまとめ、オーバーチャージを払い、自分と一緒に持ち込むことにしたんです。ちなみに、荷物は各23kgのボックスが9箱でしたね。
——となると、入国の際はかなり緊張したのでは?
初めて味わう緊張感のある入国でしたね。最悪荷物が取り上げられる、もしくは課税されるようで……結果、サンフランシスコ空港の税関に『Burning Man』に参加しに来た旨を伝えると、荷物はとてもじゃないけど渡せない、現地の通関業者に再度手続きをするようにと言われたんです。でも、それだと費用がかさむ上に設営が間に合わなくなる。1時間以上押し問答を続け、最終的には上官のような人に『Burning Man』で作品を作り、アメリカ人を幸せにしに来たと伝えると、熟考の上“Welocome!! Go ahead!!”と快く迎え入れてくれて。そのときの雰囲気は“よく来てくれた、よろしく頼む!”という感じで、それまでの緊張感が一気に解けましたね。そして、押し問答をしていた税関のスタッフともハグをして。そこで、もう『Burning Man』は始まっているんだなということを実感しました。
——向こうではどんな生活をしていたんですか?
ひとまずオークランドでキースの家に滞在させてもらったんですが、同居するアメリカ人たちは『Burning Man』で何年もアート製作のボランティアをしてきたベテランばかり。初参加の僕らは移動手段や食事の手配など、全て彼らに任せました。
その後、MIRRORBOWLERメンバーのキタロウ君と写真家ペータと合流し、準備を整え、バスで現地に向かう予定だったんですが、一向に出発する気配がなくて……当初1週間予定していた製作日数が削られていくことへの不満と焦り、さらにはアメリカ人の適当さにいらだちが限界に達し、結局僕らは3人だけでトラックに資材だけ積み込み、夜な夜な現地へと向かったんです。それ以外のもの……テントや水、食料などは後からキースたちに持ってきてもらうようにして。とにかく作品を創りに行くことを優先したんです。
不思議なパワーがみなぎるBlack Rock City
新たな試練を乗り越えいよいよ作品は完成
——現地に着いたときはどんな気持ちでした?
オークランドを夜に出て、明け方にリノという街に着き、そこで一休みしてから会場に向かったんですが、現地に着くと想像以上の景色に胸が高鳴りましたね。その土地自体からも不思議なパワーを感じたし、実際に生で会場を見てみると写真や映像とは違い、五感がフル稼働しているのをピリピリと感じました。
——そこは見渡す限り一面砂漠なんですよね。
砂漠の砂はパウダー状で、匂いや触り心地は石灰のような感じでした。そして、ちょっとした風で視界がなくなるんですよ。全てがすぐに砂まみれになるので、砂に慣れるのもそれほど時間はかかりませんでした。
今回は灯台内部の製作、僕らは屋内での作業だったんですが、初めての土地で初めての試みだけに、できれば屋内でやりたいと思っていたので本当によかった。外は1日に数回砂嵐が来ては視界が遮られるような環境でしたが、灯台内部はある意味平和だったので。一緒に作業をしたBRLSのメンバーは普段大工の仕事をしている人が多く、気持ちのいい連中でしたが、みんな体もデカく、使う道具も大雑把で繊細さは欠けていました。ただ、いい意味でダイナミックで、だからこそ『Burning Man』のような巨大で大胆なアート作品が生まれるのかなと思います。
そんななか僕らはというと、すぐにスタッフとも打ち解けたんですが、彼らがかなりのおしゃべりで……。なかなか作業が進まず試練の毎日。結局『Burning Man』の開催日に製作が間に合わず……というか、僕らの灯台だけでなく、ほとんどの作品が完成していなかったんです。
その筆頭が『Burning Man』のシンボルでもある“Man”で、初日から4日たっても頭がついていないという状況。僕らの作品が完成したのは、灯台の完成とともに開催から2日目の夜でした。
PLAYAで最も美しく光り輝いた
世界平和へと繋がる砂漠の聖域
——今回のプロジェクトで最も表現したかったことは?
BRLSが何を伝えたかったのかはわかりませんが、僕のコンセプトは“Light of Magical Cathedral”、光りの聖堂を作ること。芸術というモノはよくわからないけど、MIRRORBOWLERの作品は文化や言語、人種、年齢、宗教観など言葉や説明もなく共感し、共鳴し、その地とそこにいる人々と調和する作品を作ることが目的なんです。そして、それを日本以外で実践してみたかったんですよ。
心に直接語りかける光を創り、歓びや感動を共有し、心がひとつに繋がることが自分ができる世界平和へのきっかけだと信じているので。そんな聖域を砂漠に創りたいと思ってました。
——参加していたオーディエンスの反応はどうでした?
今回の『Burning Man』の巨大アートの中で、BRLSの灯台は圧倒的にクオリティが高かったと思います。なので、注目度も高く、本当に運がよかった。しかも、僕らの作品はアメリカ人が見たことないような繊細で神秘的なものだったようで、とても大事に扱われていて。
会場内にはネット環境がなく、情報は口伝えで広がるらしいんですが、取材にやってきた記者曰くPLAYA(会場となった砂漠)では僕らの作品が一番美しいと噂になっていたようです。その噂を聞きつけ『Burning Man』の運営や事務局、ジャーナリストたちが押し寄せ、さらにはメジャーな建造物のデザイナーも来てくれて。いまだに様々な人からメールをもらうんですが、僕らの作品を見て涙を流し感動してくれた人や人生観が変わったと熱く語ってくれる人がいたり、何年も会場に来ているけどあなたたちの作品が最も美しいと言ってくれた方もいました。
——今回はBRLSの灯台内部の製作の他にもうひとつ、“Egg of Hope”なる作品も展示されたとか。
『Burning Man』は誰でも自由に参加できますが、PLAYAに作品を展示する場合には事務局への届け出が必要。ただ、これはそもそも“Man”が燃え落ちた跡地にゲリラ的に設置するつもりだったんですよ。そこではたくさんの人々の思いが炎に託され、全てが消失した後には大きな喪失感とともに、新たな何かが人々の心に生まれると思っていたので、タマゴはある意味新しい希望の始まりのシンボルになり得るんじゃないかと思って。
これは僕と妻のひろみの2人で考えたもので、コンセプトは真実の愛からの産物であり、無償の愛で光ること。たくさんの愛と希望を込めた作品です。ただ、現地でBRLSの仲間と作業していくうちに、このタマゴは彼らと創り上げた灯台の跡に置きたいと思って、最終的にはそこに設置して新しい朝を迎えました。
——『Burning Man』で最も印象的だったことは?
当たり前だけど、『Burning Man』には行ける人しか行けない気がします。不思議なことに、会場に来る予定だったメンバーが渡米までしたのに来れなくなったり、一方で来れるはずのなかった愛妻が来れたり。僕にとってはこれが何よりのミラクルだったんですけど。
行く前にも噂で聞いていたのですが、PLAYAでは本当に不思議なことがたくさん起きるんですよ。例えば、“PLAYA PROVIDE”という言葉があって、そこで願い事をすると一瞬で叶うんです。友人とはぐれてしまったときにも、あり得ない方法で再会できたり。僕自身も試してみたんですが、作業中にどうしてもうまくいかないところを友人に頼みたいと願ったら、後ろを振り向くとその友人が歩いていて作業をするところだったり。
開催中は作業ばかりで、『Buring Man』はほとんど堪能できませんでしたが、そんななかでも印象的だった作品は“El Pulpo Mecanico”というタコのアートカーですね。それはまわりの人の髪の毛を焦がすほどの火を噴き出す、メチャクチャな作品なんですが、砂漠には火が付き物のようですね。しかも、それは消防隊の格好をしたおじさんがプロパンガスを噴射して火を出していて、なんでも一日に$2,000~$3,000分のガスを使うそうです。
あとは、PLAYAは広大なので参加者は自転車で移動するんですが、みんなそれぞれ縦横無尽に行き交うなか、暗くなると誰もが自分をライトアップするんですよ。その光景は圧巻でした。何万もの光が遥か彼方まで、見渡す限り動き回っていて。日を追うごとにその光が増えていく様は他に類を見ない光景だと思います。
無償の愛、特別なチャレンジ、そして過去との決別
非現実的が現実となり、日常の世界は非現実に……
——実際に『Burning Man』に参加してみて、自身に何か変化はありました? 価値観が変わったりとか。
アメリカが好きになりましたね。正直に言えば、『Burning Man』で何かが変わったということはないんですが、感心したのは参加していたアメリカ人アーティストたちの作品に対する発想や考え方がとても自由で気持ちよかったこと。もちろん全部の作品というわけではないけど、その瞬間を生きている感じや考え方の自由さは素晴らしかったです。
——実体験を経て、今思う『Burning Man』の魅力は?
例えば、僕らが使っていたトイレには常に紙が用意されていて、海外フェスにしては常に掃除されていてきれいでした。それは、ある参加者家族が毎年トイレ前にキャンプして、誰かが頼んだわけでもないのに自ら掃除をすることを買って出てくれていたんです。そこにはハンドクリームやリップ、絆創膏や綿棒なども用意されていて、あるトイレは女子用というプレートが付けられ、かわいく装飾されたりもしていて。
お酒などの振る舞いもたくさんありましたが、こういった粋な計らい、お金目当てではなく無償の愛のようなもの……それぞれができる役割をこなし、誰かに喜んでもらうという新しい人間社会の実験的な試みが感じられました。こういった無償の愛の精神が『Burning Man』の大きな魅力のひとつなんじゃないかなと思います。
——それは他のフェスではあまり見ることのない光景ですね。
あとは、今回僕が参加したのは作品の製作でしたが、これが言葉にできないくらい本当に楽しかったし、開催中も想像を越えること、不思議なことやミラクルがたくさん起こります。
BRLSのメンバー以外で、僕が今回出会った人たちは『Burning Man』をただのフェスとは思っていない気がします。人生を大きく変えるほどの特別なチャレンジというか、バカ騒ぎはするもののフェス以上のものと捉えているように思えました。燃やすのはアート作品だけでなく、過去の自分との決別や、捨て去りたいカルマだったり、参加者それぞれに大きな思いがあるような気がして。
僕自身、過去にいくつかの海外フェスに生きましたが、全く別物。そして時間が経つに連れて、あの場所に戻りたくて仕方がなくなるんですよ。『Burning Man』を体験して以降、非現実的なあの場所が自分の中で現実になって、普段生活していた場所が非現実に思える瞬間があるんです。
——最後に、『Burning Man』に参加するにあたっての注意事項があれば教えてください。
装備は本当に大事です『Burning Man』は“GIVE & GIVE”の精神ですが、それでどうにかなるとは思わない方がいいですね。昼夜の寒暖差は激しく、かなり体力も消耗しますし。砂にはすぐに慣れますが、その土地に慣れるには充分な食料と水、そして睡眠が必要です。
体調が万全だからこそ、本当の面白さが見えてくると思います。砂漠でサバイバルがしたくて行くのは勘違い、準備と装備はバッチリして行くのが得策です。それと、もし機会があればの話ですが、設営以前の段階からアート作品製作のボランティアをするのが絶対にオススメ。製作者の一員になることで、より『Burning Man』の一部になったと強く感じられますよ。
Photo by PETA
ミラーボーラー
光と反射の空間作品を創りだすアートクルー。2000年より活動を開始し、現在のメンバーはグラフィックデザイナー、写真家、美術家、照明など各界のエキスパートばかり。数多のミラーボールを使い産み落とされるその作品は、神秘的かつ幻想的で多くのファンを惹き付けている。日本の文化、自然を慈しみ、そこからのインスピレーションをもとにあらゆる人の心に刺さる作品創りを目指している。