7月1日(金)、日本のドラムンベース界を牽引するDJ AKiと今後のシーンを担うバーチャルヒューマンアーティストYELLOCKがアルバム「THE EDGES BETWEEN THE LINE」をリリース。コロナ禍に制作された今作には“INCURABLE”や“ISOLATED”、“OPTIMIZE”など様々なキーワードが散りばめられ、アルバムタイトルよろしく時代の空気や気配を感じさせるとてもエモーショナルな作品に。そして何より、ドラムンベース本来の魅力にも満ち溢れている。

今回は、そんなDJ AKiとYELLOCKにインタビュー。まず前編ではエンタメが再開した今、鬱屈とした世界、閉塞感を打開するエネルギッシュな仕上がりとなった「THE EDGES BETWEEN THE LINE」について話を聞いた。すると、そこには多くの意外な事実が……。

――2人で一緒にアルバムを作ることになったきっかけは?

DJ AKi「正直、まさか一緒にアルバムを作るとは思ってもいなかったんですけど、発端は2017年の『Let It Roll』(チェコで開催されている世界最大のドラムンベースフェスティバル)ですね。僕が出演した際、YELLOCKが日本から同行してくれて、そこでいろいろクロスしたんです。まずは僕が出演したステージを主催していたレーベルAudio Pornのシモンと曲を作ろうって話になって、そこにYELLOCKも参加してできたのが“INCURABLE (feat.SHIMON) ”。それが5年前の話で、そこから一度動きが止まるんですけど、世界はコロナ禍になって……」

YELLOCK「DJ AKiは配信を始め、コロナ禍をサバイブしていたわけですが、そこで再び2人がクロスした時に“やっぱり曲を作ろう”って思いが再燃したんですよね。その後、最初にできたのが“ISOLATED HUMANISM”。コロナで現場を失い、活動がバラバラになった中でも曲を作って配信することで以前のチーム感が戻ってきたというか、エネルギーが生まれてきたんですよ。何より活動の拠点を失ったDJ AKiがものすごくエネルギッシュで、僕自身それに触発されて制作モードになって。そういう意味ではアルバムを作ろうと思って始めたのではなく、あくまで自然発生的。徐々に曲ができて形になり、その先に生まれたアルバムですね」

DJ AKi「2020年1月に『06S』(DJ AKiが20年間に渡ってレジデントを務めたドラムンベースパーティ)が幕を降ろした時、最後に自分が宣言したのは“アルバムを出すこと”だったんですよ。当時は全くノープランだったんですけど、それがYELLOCKとの作品になるとは自分でも驚きです(笑)」

――その「06S FINAL」でYELLOCKはデビュー。ちょっとした布石、運命を感じますね。

YELLOCK「本当に偶然なんですけどね」

DJ AKi「あの時はYELLOCKの熱意に押されて出演してもらったんですけど、その裏には最後に新しいものを取り入れたいという気持ちもあって。それで、実際に誰もやっていないことをやってくれた……今思えばですけど、ファイナルにしてその後の活動の始まりだったのかな。その直後にコロナが流行し、世界も一変した、すごいタイミングだったと思います」

――コロナ禍に制作されたわけですが、制作はほぼオンライン?

YELLOCK「2人でスタジオに入った曲は1曲もないですね。基本的にはオンラインでコミュニケーションをとりながら」

――不安はなかったですか?

DJ AKi「全く(笑)。曲ができたらオンラインで交換し、コンセプトを話し合ったり。何の問題もなかったし、むしろ時間と空間を超えて、オンラインだからこそ完成させることができたと思いますね」

YELLOCK「DJ AKiとは楽曲制作以外にもXRライヴや様々な企画で活動を共にしていたので、そういった全ての流れの中で楽曲が育まれていった部分もあります。既存のミュージシャンがスタジオに篭って作るのではなく、コロナ禍を共にサバイブする中で楽曲も同時多発的に生まれた感じ。ただ、やはりこの2年間、異常な社会情勢の中でDJ AKiと話しているといろいろと吐露することも多かったし、様々な思いが楽曲に盛り込まれていって。あとはDJ配信をしているとどうしても欲しい曲が出てくるので、そうした部分も加味しつつ、その時々の思いのままに作っていった感じです」

――今回はそうした思いが楽曲のタイトルにも如実に現れていますよね。それこそ“OPTIMIZE(最適化)”や“ISOLATED(隔離)”など。

DJ AKi「全てはコロナ禍に感じたこと、思ったことですね。当初コロナが伝播し、世界中の人が人間性さえも隔離されてしまっている感じがして、それが“ISOLATED HUMANISM”になったり。ただ、隔離されている中でも僕らはオンライン・配信で繋がっていて、それは今回は本当に大きかった」

――というのは?

DJ AKi「配信だとできた曲をすぐにかけて、リアクションがすぐにわかる、それは大きなメリット。もちろんコロナ禍前もクラブで新曲はかけてましたけど、それ以上にリアルな声が返ってくるし、配信だとリアクションが視覚化される。それに新曲をかけるたびに盛り上がり、それがビッツに繋がって曲を作るモチベーションにもなるし、すごく面白かった。クラブでDJしている時とは違う感覚、みんなで感覚を共有していこうって感じがして、その気持ちをもとにできたのが“SHARING THE SAME SENSE”です」

――最適化や隔離、共有など、そういった思いをどう音楽にしていくのでしょう? とても難しいような気がしますが。

DJ AKi「楽曲制作はコンセプトが先の曲もあれば、後のものもある。両パターンあるんですけど、基本的には自然にできたというか……そこに難しさとかを感じたことはない」

YELLOCK「思いをそのまま曲にするというより、当然そこから浮かぶイメージがある一方で、ハードな曲を作ったから次はディープなものにしようとか様々な心の揺れ動き、バランスの中でできていて。それこそDJ AKiと世間話をする中で生まれてきた曲もあったり。テーマやコンセプトに凝り固まって作っていたわけではなく、これもあくまで自然に。自分の中から湧き出たものを素直に形にしていくだけでした」

DJ AKi「僕ら自身そこまで深く考えていないというか、純粋に感じたもの、浮かんだものをメッセージと共に音楽にしていく、すごくシンプルなことだったと思います」

――このコロナ禍で何か変化したことはありますか?

DJ AKi「ドラムンベースに関していえば、コロナになって4ビートの要素が多分に入った曲が増えましたね。個人的にはその流れがツボで、今回の制作で加味したいなと思ってました。ただ、音楽って面白い、やはり時代を反映しているなと思ったのは、コロナ禍で現場がなくなっても新曲だけは生まれ続ける中、いわゆるドラムンベース的な疾走感のあるハードな曲は激減したんですよ。フロアで人を踊らせる必要性がなくなってしまったから。でも、欧米で現場が再開した今は、生まれてくる音楽が以前に戻ったような感があるんですよね」

YELLOCK「個人的なことで言えば、コロナで日常が失われ、時間だけがある中で楽曲を制作するようになって、そうなると必然的にスキルを改めて勉強したり、サウンドメイクをもう一度見つめ直してみたり。現場ありきで物事を進めていた頃と違い、より一音一音に対して向き合うことができ、クリエイターとしてのスキルは格段に上がったと思うし、得られたものは大きかったと思います。奇しくもですが」

DJ AKi「僕は今、自分はDJであり“ストリーマー”だと思っていて、この歳で自分の新しい可能性に気づくことができたことが嬉しい。当初はネガティブになってましたけど周囲のおかげで新しいスタートができた。本当にもうDJをやめないといけないと思った時もあったんですけど、みんなのおかげで新しい活路が見出せた。もう一生続けるしかない、それが恩返しだと思ってます」

YELLOCK「コロナ禍になってDJ・音楽と向き合わない人もいたと思うんですけど、僕は近くにDJ AKiがいたので幸いにもそうした場面を見ずに済んだ。そして、シーンに大きな変化がある中でも前に進むことで大きな成長ができたような気がします。誰もがキャリアを投げ打つ可能性があった中で僕は周囲のおかげもあって乗り切れた、その経験は大きいと思いますね。例えば今後、もう起きないと信じたいですけど、コロナと同様の出来事があってもなんとかできるマインドセットを覚えた。手放しで喜ばしいとは言えないけれど、得たものはあったと思っています」

――今回のアルバム「THE EDGES BETWEEN THE LINE」には国内外、様々なアーティストが参加していますが、その人選は?

DJ AKi「シモンは前述の通りですけど、オーディオは個人的に一番好きなアーティストであり、一緒に曲を作ってみたかった人で。まだ4回ぐらいしか会ったことはないんですけど、お互い周囲から色々な情報が入っていて初対面で意気投合したというか、初対面じゃないような感じで。それでいつか曲を作ってみたいと思っていたんですけど、ある時、YELLOCKが1日で作ったってデモを送ってきたんです。それがめちゃくちゃカッコよくて、直感的にオーディオと一緒にやったらさらに良くなるなと思ってメールで送ったら、しばらくして連絡があり、翌日に送られてきたファーストドラフトがスゴくて。その後、一週間程度でできたんですよ。憧れの人と会うこともなく夢が叶ったんです。そしたら今後はキッド・ドラマからインスタ経由で曲を作ろうよって連絡があって」

――国内からは弱冠19歳のMANTARROWが参加しています。

DJ AKi「彼は僕の教え子なんですよ。彼が14歳の頃からDJ・ドラムンベースのことを教えていて。コロナ前から一緒にいろいろやってたんですけど、今回、19歳の曲をアルバムに入れることにスゴく意味があると思ったんですよね、それはオーディオと一緒にやるぐらいの意味が。僕らは彼のような可能性に溢れた人たちと一緒にやっていくことを証明したかったんですよ。この曲は今一番好きで、自分のセットに欠かせない曲になってます。あとは国内からはTKO。彼はもうずっと一緒に活動してきて外せないなと」

――YELLOCKさんはオーディオやキッド・ドラマと一緒に曲を作ると聞いた時はどう思いました?

YELLOCK「最初にシモンと曲を作ったときは、彼に持ち上げてもらっている感覚だったんです。当時は世界に通じるほどのクオリティは作れなかったのでシモンの手を借りて世に出せたという感覚。オーディオの場合はDJ AKiが彼にデモを送った時点でなるようになれと思っていたんですけど、“Sound nasty”と言われた時は嬉しかったですね。オーディオと対等に曲が作れるのは名誉だし、素直に嬉しかったし、驚きが強かったですね」

――ある意味、オーディオに認められたってことですかね。

DJ AKi「オーディオはデモが酷かったらやるって言う人じゃない。デモが面白いと思ったから話に乗ってくれたと思いますね」

YELLOCK「露骨にそういう人だからこそ嬉しかったし、当時は自分に何が起こっているのかわからない感じとオーディオと一緒に曲が作れるところまで辿り着いた、その両極で揺れ動いてました。その後のキッド・ドラマは様々な経験を経てアーティストとしての会話が成り立ったし、どれも自分のキャリアの中で大きな出来事だったと思います」

――今後も2人で活動していくのでしょうか?

DJ AKi「これまでいくつかのユニットでライヴをやってきましたけど、自分のDJの方が良いと思って敬遠していたんです。でも、7月の『06S』復活の際のライヴは僕のDJでは敵わないと思った。音楽、映像、演出、あらゆる面で最高で、このチームならもっと上にいけるんじゃないかって思ったんです。DJの盛り上がりとも違っていて、これはいけるっていうものが見えたんです。今でもその時のアーカイブを見ると感動して泣けてくるんですけど、これだけ自分が感動できるなら、多くの人を感動させることができると思うし、それだけにYELLOCKにアルバムをもう一枚作ろうって(笑)」

YELLOCK「アルバム云々というよりは、ライヴを経ていろいろ考える部分があったし、もっとできるという思いもあって。細かいことで言えば、こんな曲があったらとかいくらでも出てくるんですけど、曲に関して言えば作ればいい。ただ、鮮度があるので作り続ける必要があるし、とにかくライヴをやったことで様々なアイデアが生まれてきているんですよね。同時に、時間をかければ日本で唯一無二のライヴができるという自信も。それぐらい手応えがあった。今はまだ確実な計画があるわけじゃないですけど、純粋にもう一度ライヴがやりたいという思いはあります」

DJ AKi「この2年間、配信を通じてオンライン上でフォロワーと対峙してきましたが、7月のライヴでようやくリアルで介し、全てがハマった感覚があるんですよ。あのエネルギーは本当にスゴかったし、早く次がやりたい。次は11月、『06S』が21周年を迎えるので、そこでまたできたらと思っています」

第二弾では2人が日本のドラムンベースシーンの今、そして未来を語る。お楽しみに!

DJ AKi&YELLOCK

「THE EDGES BETWEEN THE LINE」