3日間で10万人を動員し、5回目となる今回も大成功を収めた『ULTRA JAPAN』。
MAINSTAGEの熱狂の一方で、様々なアートやパフォーマンスが展開され、賑わいを見せていたのが「Onitsuka Tiger Street in ULTRA JAPAN」。

その空間を手掛けたのは、過去には会場内のゴミ拾いを啓蒙するプロジェクトULTRA SWEEPERSや未来型花火エンターテインメント『STAR ISLAND』でもパフォーマンス演出を行なう小林玄氏。

今回は彼に「Onitsuka Tiger Street in ULTRA JAPAN」を通して見えた表現・パフォーマンスの可能性、そして未来について語ってもらった。

——今回、(小林)玄さんはどんな役割だったのでしょうか?

昨年、今回のOnitsuka Tiger Streetの前身となるULTRA PARK STAGEのパフォーマンスのディレクションをさせていただきました。その際、パフォーマーのホスピタリティに光るものがあったので、より大きなものを描きたいと思っていたところ、今年もお話をいただいて。しかも、今回はパフォーマンスだけでなく空間も含め総合的に演出させていただきました。

——そのOnitsuka Tiger Streetは、多くの人が様々な形で楽しんでいた姿が印象的でした。改めて振り返ってみていかがでした?

考えていた夢空間ができたと思っています。
僕はそもそも会場内に“公園”を作りたかったんですよ。人のテンションを解放させたかった。Onitsuka Tiger Streetは『ULTRA JAPAN』のいわば玄関口な場所であり、奥に進めば本殿MAINSTAGEがある。そこには素晴らしいアーティストが登場しますし、その前に心身ともに解放させる、テンションをあげる役割を担えればと。
そういう意味では多くの方々の笑顔を見ることができましたし、やってよかったと実感しています。

——日本人にとって公園というのは大事な存在ですよね。小さいころから馴染みがある場所ですし。

人間誰もが小さいころに遊んだことは最大級のかけがえのないものだと思うんです。だから今回もわなげなど懐かしい遊びを取り入れ、みなさんに楽しんでいただこうと思っていました。公園は人の心を童心に戻すには最高の場所だと思うんです。

——来場者の多くは音楽目当てだと思います。そういった方々にどんなアプローチを心掛けていたんですか?

フェスはあくまで音楽を体感するものですが、もうひとつ……誰もが自己解放する、いつもとは違う自分になるために来ていると思うんです。そして、そのためには音楽は当然重要ですが、視覚から非現実的な世界へと導くこともできる。

そう考えたときに“アート”がポイントになるかなと。日本にはアートが感じられる街並ってあまりない。NYやローマ、世界には数多くあるにも関わらず。
まずはアートを感じる場所を出現させる、それが発端でした。

——確かに日本ではギャラリーなどに行かないとアートに触れることはできませんね。

そうなんです。でも、ただアートがあるだけでは昨年と変わらない、そこで考えたのが“ストリート”。そこは全てのカルチャーの発祥でもあって、多くの才能が眠っている。アートに限らずミュージック、パフォーマンス、そしてデジタルの分野においても。あらゆるジャンルのカルチャーにアプローチできるストリートを体現する公園を作りたかったんです。

——ストリートを通過した表現というわけですね。

ただアートを展開するなら著名なアーティストを入れればいい。でも、そうではないんです。一方で、今回は“ストリート”と銘打っているだけにマイナー、アンダーグラウンドに偏るのも違うと思ったんです。そのバランスは非常に悩みました。

そしてもうひとつ、ストリートに眠る若き才能を支援することも考えていて……。今回のプロジェクトをサポートしてくれたOnitsuka Tigerさんは、そのあたりを非常に理解してくれて本当に感謝しています。

Onitsuka Tigerのおかげで、ストリートで活躍している本物のアーティストたちを紹介することができたと思っています。彼らがなぜストリートにいるかと言えば、自分たちの表現を見てほしい、聴いてほしい、そして人々を喜ばせたくてやっていると思うんです。そして、その素晴らしいエネルギーを表現する場を設けたい、それが今回の大きなコンセプトでもあったんです。

名声に関係なく、パッションがあり、目の前の人に全力で表現できるアーティスト、見ている人のそばで喜ばせることができるホスピタリティの高いパフォーマー……、彼らがすごくいい感じに混ざり合うことができたと思います。

——様々なアーティスト、パフォーマーがいましたが、ストリートミュージシャンまで用意されていたことは驚きでした。

正直不安な部分もあったんですけどね……ULTRAというブランドに反していないかと。非常にデリケートな問題でしたが、精神性としてはストリートに眠る才能を支援する、それはULTRAも同じかなと思ったんです。

当初、ステージを作ろうとも思っていたんですが、それはやめました。ステージの演目となると、それはULTRAの歴史に背いてしまう感じがしましたし、根本的に考えてみればストリートにステージはないので。今回はストリートミュージシャンもひとつの情景、コンテンツのひとつなんです。

一抹の不安もありましたが、みなさんミュージシャンを囲んで踊り出したときには成功だったと思いました。

——ある種の新しい可能性が垣間見えたのかもしれませんね。ダンスミュージックにとどまらないエンターテインメントとして。

以前、『ULTRA JAPAN』のクリエイティブディレクターをつとめていた小橋賢児は、ULTRAはみんなで過ごす最高の共存の場、気付きの場であると言っていました。そう考えるとみなさんにはMAINSTAGEをしっかりと崇めてもらい、その周辺は時代とともに形成されていくべきなのかなと思うんです。

有名無名関係なく、才能ある人たちがどれだけ来場者を楽しませることができるか、そのためのインタラクティブな場を数多く作ることが本来の在り方だと思うんです。

——みんなで楽しむ空間ですね。Onitsuka Tiger Streetを見ていると、パフォーマーの方々も楽しそうでしたね。

彼らはスゴイ技だけを見せるわけではないんですよ。それだと普通のステージになってしまい、お客さんもただの傍観者になってしまう。彼らはステージングしつつ、お客さんと交流するグリーティングを大切にしていました。

技を披露した後にハイタッチしたり、一緒に写真を撮ったり、僕はこの部分が究極的な日本の“おもてなし”だと思っているんです。そういった姿勢、パフォーマンスだけでもおもてなしになると思いますし、日本らしさというのはそこにあるんじゃないかなと。

——単純に非人間的なパフォーマンスをすればいいわけじゃないと。

まして今や映像社会ですし、技は日常的に楽しむことができますからね。今求められているのは人と人との触れ合い、それが非日常的な感覚で行なえれば、それはとてつもない体験だと思うんです。

それを促すパフォーマー、いわばホスピタリティ・パフォーマーというか、そういった存在が日本の新たな表現の礎になると思っています。普段トップの舞台で活動しているパフォーマーたちの心意気にも非常に感謝しているんですが、やはり来場者は生、リアルな体験を求めているんですよね。

——ただ見るだけではないと。

圧倒的なパフォーマンスも好きですが、その先の交流にも飢えているんだと思います。

ただ僕自身、以前はそれを否定していた部分もあったんです。かつてパフォーマンスを現す言葉が日本には“大道芸”しかなく、そうなると技で日銭を稼ぐ、それがどこかチープに見えたんです。一方で、海外ではストリートパフォーマンスとして確立され、芸術の宝庫のようになっている。そんな差を感じていたんですが、今はそれが徐々に近づき、それを完全に破壊できるのが“ホスピタリティ”なのかなと。

観客を楽しませるためにパフォーマンスを行なう、そこにはお金は関係なく、ただただ空間を共有する、それが答えだと思いました。

——休憩しているお客さんもパフォーマーが近づいてくると、ちょっとテンションがあがりますしね。

パフォーマンスで大事にしていたのは、動き続けることとポージングです。動き続けるというのは演技ではなく交流し続けること。そして、ポージングは止まること。

実は動いているときよりも止まっていることが効果的な場面もあるんですよ。ポージングをしている人が視界に多くいるほど、それは贅沢なこと。それは空間における究極の装飾品であり、アートでもあると思うんです。

なので、動き続けることも重要ですが、装飾品として視覚的に癒し、楽しませることも意識しました。座っている人の隣でポーズしているだけでもお客さんはクスッと笑う、その笑顔を大事にしたかったんです。そして、その笑顔がパフォーマンスにさらに磨きをかけてくれるんです。

——そういったパフォーマンスは、にべもないことを言ってしまえばなくてもいい。しかし、あった方がより華やかに、潤いますよね。

パフォーマンスって装飾品であり、やはり究極の贅沢品なんですよ。
実際、なくてもいいんです。人々の生活に必要なのは衣食住。ただ、あった方が確実に有意義になる。そんな贅沢を味わってほしかったんです。

——今回Onitsuka Tiger Streetで何か新しい発見はありましたか?

みなさん熱狂、そして音楽を聴きに来ているのですが、一方でチルアウトしに来ているのかなという感覚も覚えました。
Onitsuka Tiger Streetの滞在率も長く、そこで何をしていたかと言えば、多くの方が写真を撮っているんですよね。その心理を考えると、やはりマーキングだと思うんですが、みなさん意識が高いので気付かされることも多くて。自分が予想していなかった場所がいつの間にかインスタ映えスポットになっていたりするんですよ。

そこで気付いたのが誰もがアートを求めているということ。写真映えするアートな場所を探し、さらにはどんな場所でもアートにしてしまう。これはアートの原点のひとつだと思いますし、すごく可能性を感じました。
僕らが作る空間も100%作り込むのが正解ではなく、あえて余白を作り、来場者が勝手にアートで埋める、そういうやり方もありなんですよね。

——確かに今は自分たちで何かを見つけること、他人とは違った見方で空間を捉える人も多いですよね。

アートに資格はいらない、誰もがアーティストになれる、改めてそう思いました。

——今後はどのような展開を考えていますか?

今回、得たものは本当に大きかったんですが、欲求不満なところもあって……。というのも、こういったものがもっと当たり前に、街中に存在させるにはどうしたらいいのか、それをすごく考えさせられました。

みんなこういった空間が好きなはずなのに街には遊びがない。カルチャーが生まれるストリートがもっと必要だと思うんです。日本には様々な規制があり、自由に表現できなくなってしまった部分もありますが、ストリートにはまだまだ未知なる才能が数多く眠っている。それこそブルーマンもストリートが発祥で、そもそも楽器が買えないから水道管を叩いていたわけで。

今はアートとの距離も近くなってきたとは思いますが、より気軽にアートに触れることのできる社会になったらいいなと思います。

——アートは敷居の高いものではないと、現場で楽しむものだと。

人の心を動かすもの、それこそおもてなしもアートだと思うんです。そこに境界線を作ってはいけないんですよね。そして、もっと遊びのある環境の中で原石を見出し、育んでいくべきなんです。

人を喜ばせるには有名無名関係ない、心意気と表現が来場者とマッチングすれば、それはひとつのアートになると今回確信しました。もちろんルールも大事ですが、表現者の心意気を狭めることは怖い。才能ある人たちが当たり前に集える場所、環境を作りたいですね。

——玄さん自身、日々新たな才能を探しているんですか?

才能って、以前は技ができる人と思っていたんですが、今は技+α……つまり、心意気と熱量のある人を探しています。

熱量こそがカルチャーの発祥、発展に繋がると思いますし。世界には様々な表現があり、日本人はどこかで世界に劣等感を抱いてしまっている部分があると思いますが、今はもうそんなことないんですよ。

むしろ、心意気というとんでもない武器を持っている。そして、その集合体には無限の可能性があるんです。絵画、音楽、パフォーマンス、デジタル、どんな分野においても絶えず新たなエネルギーが吹き出しているんです。それを一同に介することができたら……今回は少なからずそういったことを支援することができたので、今後も継続していければと思っています。

小林玄
Gen Kobayashi
パフォーマンスの世界に造詣が深く、演出家、コンテンツプロデューサーとして、アトラクション開発・振付・パフォーマンスコーディネートなど多方面で活躍。パフォーマンスによるインスタレーション、サーカス調に変換する手法を得意とし、アーティストのライヴや企業プロモーションイベントのショー制作など数多く手掛ける。また、アーティストとしてもマイム、マジック、道化芝居を軸に国内外問わず様々なイベントやメディアに出演。作家として映像・舞台脚本も手掛ける。