『ULTRA JAPAN』の大トリを飾ったデヴィッド・ゲッタ。
そのプレイに会場が大きな盛り上がりを見せたのは言うまでもないことだが、そんな彼にまつわる1つの大きな論争、“ボタンプッシャー”問題。
その真偽を今回のステージをもとに考察してみよう。
デヴィッド・ゲッタの母国フランスには“ノブレス・オブリージュ”という言葉がある。
これは直訳すると“高貴な者に伴う義務”。
EDMのパイオニアたる彼は、まさにシーンにおける高貴な存在だ。それだけにそこに伴う義務も大きいわけだが……。
かねてより、ゲッタを含むEDMのDJの間には“ボタンプッシャー”という議論がつきまとっている。
これはかつてデッドマウスが某メディアで発言したもので、
ゲッタらはただ再生ボタンを押すだけでその後は何もしない、DJとしての本来の役割を果たしていないと彼は言う。
このスキャンダラスな発言は、以降様々なアーティストを巻き込み論争となったのだが、はたしてゲッタは本当にボタンプッシャーなのか。
『ULTRA JAPAN』における彼のプレイからその真偽、その意味を考えてみたい。
今回の『ULTRA JAPAN』では、第一弾出演者として早々にラインナップされ話題を呼んだゲッタ。
本祭においても最終日のメイン・ステージの大トリを飾ったわけだが、振り返ってみると彼が来日したのは約3年ぶり。
その間シーンも成熟し、進化した中で、パイオニアたる彼がどんなプレイを見せてくれるのか、誰もが楽しみにしていたに違いない。
壮大なイントロから彼の代表曲“Play Hard”で幕を開け、カルビン・ハリス&ディサイプルズ“How Deep Is Your Love”やザ・ウィークエンド“Can’t Feel My Face”といった旬の楽曲を交えつつ、“Titanium”や“Bang My Head”、“Shot Me Down”といった自身のヒット曲で会場を盛り上げていく。
とにかくアッパーなサウンド、容赦なく繰り出されるブレイクの波に会場が歓喜するその様は、『ULTRA JAPAN』大トリの面目躍如といったところ。
ただ、終演予定時間残り30分をきり“Dangerous”や“Lovers On The Sun”といった彼の楽曲とビッグアンセム“Tremor”でフィナーレへと突き進むなか、最後にかけたのが決してビッグアンセムではない“Sexy Bitch”だったことには驚きだった。
とはいえ、ステージ裏には花火が打ち上がり、大円団のもと『ULTRA JAPAN』は終了した。
彼のプレイ中には、HOT CUEで次の曲をループさせてミックスしているような素振りもあったし、序盤の“Play Hard”の時にはスクラッチも披露していた。
さらに言えば、スティーヴ・アオキとディミトリ・べガス&ライク・マイクの“Feedback”のロング・ブレイクではローパスフィルターとSWEEPを駆使した過激なエフェクトをかけている場面を見ることもできた。
しかし、その一方で、ニッキー・ミナージュらをフィーチャーした自身の代表曲“Hey Mama”のブレイク時では、両手を上にあげている状態にも関わらず(縦フェーダーを降ろしていないのに)、音が無くなりお客さんとコール&レスポンスを交わしている場面もあった。
つまり本当にプレイしていたのか否か、そのどちらの要素もあり、真偽は謎に包まれたままだが、彼はボタンプッシャーであろうとなかろうと、DJが成し遂げるべき役割、オーディエンスを楽しませるエンターテイナーとしての役目は十分に果たしていたと思う。
現在47歳となるゲッタは、13歳のときにダンスミュージックの洗礼を受け、そこから約35年、彼はパリからイビサへと渡りDJとしてのキャリアを着々と積み重ねてきた。
それだけに、根っからのボタンプッシャーではないはずだ(現にアフターパーティでもアレッソと交互にミックスをするB2B をやっていた)。
しかし、EDMという巨大なシーンを形成する立役者となり、そのポジションが以前とは大きく変わっていく中で、彼のDJに対する意識も変化してしまったこともあるかもしれない。
もしかしたら、本当にボタンプッシャーになってしまったこともあったかもしれない(音楽と映像のシンクを完璧にするための演出上の理由かもしれないが)。
だが、たとえそうだとしてもここまで大きな熱狂を生み出しているのであればいいのではないか。
フェスにおける彼の役割は、ボタンプッシャーであるか否かということよりも、観客を楽しませる至上命題がある。
それを成し遂げることこそ、彼がDJとして尊ぶべき“ノブレス・オブリージュ”なのだから。