植野有砂とポーター・ロビンソン。
日本とアメリカ、それぞれのクリエイティブ・フィールドで若くして大成した両者。ここではそんな2人の成功の背景、そして理念について訊く。
両者ともに新たな時代を開拓するトレンドセッターと目されているが、その脳裏にあるものとは……。
2人のサクセスストーリーを紐解いていくと、2010年代に駆け上がり、さらにはその先の、新時代のアーティスト像を物語る確かな光が潜んでいた。
——まずは、お互いの第一印象は?
ポーター・ロビンソン(以下ポーター) 彼女はスーパー・インフルエンサーで、スゴいクリエイターで、とてもクリエイティヴなファッション・デザイナーだよね。様々なSNSやメディア、そしてオンラインで活躍していて、会った瞬間に“クール!”だって思ったよ。
植野有砂(以下有砂) ポーターを最初に見たのはLAで、ゼッドとB2Bをやってたとき。彼のことはもともと知っていたけど、そのときのプレイがめっちゃかっこよくて、さらに好きになりました。
印象としては……“顔文字”かな(笑)
ポーター 僕のオフィシャルロゴが“顔文字”だからね(笑)
——2人が音楽やデザインなどの活動を始めたきっかけって?
ポーター 10代のときに音楽にハマって……でも、当時はプロのミュージシャンになろうとは考えてなかったんだけど、あるときリリースをするチャンスがあってさ。それ以降、単純にもっといい曲を作りたい一心で活動してきて、“Say My Name”が僕に成功をもたらしたんだ。
その年(2010年)はスクリレックスが全米でスターダムにのし上がっていったときで、まわりでは“DJ”が騒がれていた。
でも、当時の僕はDJなんて見たことがなくてさ。僕はいい音楽を作るプロデューサーだと思ってたから。とはいえ、そういったシーンの変化は僕の大きな分岐点だったと思う。
有砂 私は昔からクラブが好きで、遊ぶのが好きだったんだけど、あるときDJに怒りを覚えて。当時から音楽に対してはピッキーだったんだけど、そのときは私がまわした方が盛り上がるって思ったんですよね。それでDJの練習を始めました(笑)
——2人にとってのターニングポイントは?
ポーター 決定的瞬間は18歳のときにスクリレックスの全米ツアーに参加し、彼のレーベルからEPをリリースしたことかな。ビッグサクセスだったからね。
自分が興味あることで成功できるとは信じられなかった。しかも、成功したら好きなことにトライするチャンスが生まれ、みんなからの信頼を得ることもできた。そして、夢を追求していくこともね。
ひとつの成功によっていろいろなことに気付くことができたんだ。
有砂 私は19歳のころかな。当時、大学で英語を勉強しながら遊びに行ったり、SNSで情報を発信したり、雑誌にも出させてもらってたんだけど、その時期に今のボスに出会って。そして、彼がFIG & VIPERを立ち上げるときにデザイナーとしてスカウトされたの。
それまでデザインなんてやったことなかったけど、せっかくのチャンスだし“やらないわけないじゃん!”って思ってデザインの勉強を始めて。その後、FIG & VIPERがスタートし、同時にDJも始めて、いろいろなものが大きくなっていったの。
ポーター それって超クールだね。何も知らないところからチャンスを掴み、成功しているんだからね。
DJの成功も同じようなものだと思うな。当時の自分も業界やシーンのルールなんて何も知らなかったし、必要なかったんだ。他のDJのスタイルをチェックしたりすることもね。ビギナーズラックだって言われるかもしれないけど、今はアマチュアがシーンを作るエキスパートになれる時代だと思うんだよね。
有砂 ルールに捕われない、固定観念のない人はすごくフレキシブルだしね!
——それぞれの創作活動の源になるのってどんなこと?
ポーター 感情や感動、美……つまりエモーションかな。人間美というより素晴らしい景色や情景、シチュエーションそのもの。
僕の初期の音楽はアグレッシヴだったけど、ある日そのイメージをリブランディングする分岐点を迎えたんだ。そして、それから2年ぐらいして根本的な変化があった。アグレッシヴなものからエモーショナルな、哀愁というかどこかノスタルジックでセンチメンタルで静謐なテイストの音楽を作ることが好きになったんだ。
もちろんアグレッシヴなプレイをするのも好きだけど、今はエモーショナルなサウンドがいいね。
有砂 私の場合は旅をすることと友だちと話すことかな。ただ、どこからインスピレーションが沸いてくるかわからないところもあるけど(笑)
ポーター 旅はいいよね。僕もそう。
——旅をして生まれた曲ってある?
ポーター 僕は基本的には自宅でしか作らないけど、前に一度ツアーバスにデスクトップを持ち込んで曲を作ったことがあったね。
でも、そのときは全然制作が進まなくて(笑)。基本的に旅先では曲は作れない。
——制作に行き詰まったときはどうしてる?
有砂 私は今がまさにそう(笑)
ポーター その解決法を知っていたら僕の人生は完璧だったと思う(笑)。実は去年、一番辛かった時期があってさ……全然曲が作れなくて挫折しそうになったんだ。本当にハードだったよ。
最初は音楽を聴いたり、ハードワークをしていて、その後はコーヒーを飲んだり、外出したり、エクササイズしたりしてたね。ハードな状態を保つことで現状を打破できると思ってたんだけど、一番の解決策は自分自身の幸福感、何がハッピーなのかはっきりさせることだったんだよね。
自信を得たり、満たされることが大事。当時の僕はそれがわからず、不安や恐怖から音楽が作れなくなっていたんだ。
有砂 私はあまり現実を直視しない! 何も考えないで旅に出ちゃうタイプ。旅から帰ってきたときには締切が迫ってるんだけど(笑)。
でも、リフレッシュしてるからやるしかないと思えるというか、そうやって自分を窮地に追い込むタイプです(笑)
ポーター それもありだよね! そうすることで自身もハッピーになれるし。
——クリエイティブな作業において精神状態をキープするのは重要だと思うんだけど、2人はそのためにどんなことをしてる?
ポーター 自分自身をいたわること。そしてよく食べて、エクササイズして、健康でいること。
ありきたりかもしれないけどね。僕が一番辛かったときは1日時間も部屋で音楽を作っていて、全く健康に気を使っていなかったんだ。幸せについてもノーケアだったし、すごくハードだった。
ただ、人間誰もが例外なく問題やトラブル、見えない壁に直面してると思うけど、全ての人に当てはまる完璧な解決法なんてない。それは問題によっても違うしさ。つまり、答えはいつだって同じじゃないってこと。
——話は変わるけど、今のダンスミュージックシーンについてはどう思ってる?
ポーター 最近のアメリカにおけるEDMシーンで感じるのは、流行は終わり、下火になってきてるってこと。ただそれはすごく成功して、ダンスミュージックの認知度をあげたことは間違いない。クールだと思われていた音楽がメジャーでも評価されたわけだからね。
例えばジャスティン・ビーバーともコラボできるようになったし。DJスネイクやジャックUとかね。そういったコラボって、絶対的にポップでクールだと思うんだ。僕は大好きさ。リアルにビリーバー(ジャスティン・ビーバーのファン)でもあるからね。彼の声は本当に美しいよ。
——今注目しているサウンドは?
ポーター 僕が思う去年のEDMのトレンドはベースハウス、フューチャーベース、トラップとかだったと思う。でも今年はよりあえてポップ感って感じかな。これまで様々なタイプのEDMアーティストがいて、それこそカルヴィン・ハリスやニッキー・ロメロの曲は必ずヒットしてたけど、今はそれもトレンドじゃない。もっとトロピカルなヴォーカルスタイル。例えばザ・チェインスモーカーズの“Closer”みたいな感じだよね。今後はもっとそういう方向にシフトしていくと思う。
有砂 私は日本のマーケットでDJをしていて、今でもEDMをかけるけど、個人的にはもういいかなって感じ。
今はギャングスタハウスかな。ダニエル・フェルナンデスとか。ただ、これを日本で私が出演するパーティでプレイしても誰も踊れないし、踊らない。けど、私はそれをやっていきたくて……。
ポーター その気持ちはわかる。でも、日本のマーケットって面白いというか、興味深い状況にあるよね。
なぜなら、日本には前から中田ヤスタカさんみたいなスタイルのエレクトロニックミュージックがあって、その後EDMが新たに認知された。それらが類似した音楽性であるにも関わらず、日本人は今もつまらないものだと思ってない。
一方でアメリカではトレンドが廃れつつも、多くの人が日本のファッションをクールだと思ってる。時間の流れの違いというか、流行の時差があるのかもしれないけど、それを感じさせない何かが日本にはあるような気がするんだ。
——ポーターは何度も来日しているけど、東京で好きなスポットってある?
ポーター 僕にとって日本はエキサイティングな場所であることは間違いないね。コンビニで唐揚げやおにぎりを買うことすらワクワクするよ(笑)。
全てがエキサイティングで何をすすめたらいいかわからないけど、あえて言うなら……実は秋葉原にお気に入りのラーメン屋さんがあるんだ。名前はちょっとわからないんだけどね(笑)。そこにはチリと中華風みたいな2種類のスパイスがあって、それをミックスするとマジでハイになっちゃうんだ。絶品だよ!
——新曲“Shelter”のMVでは日本のアニメーションが取り入れられていて話題になったけど、この成り立ちは?
ポーター 僕自身、日本のアニメの大ファンだからね。一番好きな作品は細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』さ。すごくエモーショナルで泣ける、最高の作品だね。
今回のMVに関しては、去年脚本を書いて密かに進めていたことなんだ。原案を持って新海誠監督のスタジオを訪ねたら、彼らにA-1 Pictures(アニメーション会社)を紹介してもらってさ。そこは『あの花(あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない)』や『FAIRY TAIL』とか、僕の好きな作品を数多く手掛けていて、前から仕事がしたいと思っていたところだったんだ。
今回のMVを作るために今年だけでもう8〜9回ぐらい日本に来ているけど、制作の過程で僕は本当に成長できたと思う。アニメの専門家ではないけれど、新しい方法をイメージしたり、サポートできたと思うよ。
——作ってよかった?
ポーター 僕は今回のアニメーションで“オタク文化”や“オタクのイメージ”を伝えたかったわけじゃないんだ。アメリカでもオタク文化はもはやメインストリームのような人気で、次の流行の軸になりつつある。そんなときにこのMVを作れたことは自分にとっても大きかったよね。
——ちなみに、タイトルの“Shelter”にはどんな意味が込められているの?
ポーター 家族の愛や両親からの愛、温もり、そして人生の意味を見つけることだったり、いろいろな意味がある。この曲は人と人との繋がり、古い世代から新しい世代へ、両親から僕らに与えられたものへの愛、そして尊敬や感謝といったものを後世に繋げていく、そのサイクルの美しさを表現したかったんだ。
少し悲しいストーリーではあるけれど、主人公の凛は世界の終わりにどう生きていくべきなのかを学んでいく。それは、現実に繋がる人間関係を描くことができたと思うよ。
——最後にファンにメッセージを。
ポーター 日本には限りない未来への可能性とエレクトロミュージックがある。これからもクールで新しいスタイルを模索し、常に進化していってほしいな。もちろん、同時に日本のアンダーグラウンドシーンもね。
そして、いつも応援してくれてありがとう! これからもスペシャルな音楽を作って、日本の成長と新たなカルチャーの誕生を心から願っているよ。
有砂 今日はすごくクリエイティブな話が聞けて勉強になりました。私は大抵ポジティブなものからインスピレーションをもらっていたけど、彼のように悲しい部分に着目するのは私の中ではすごく新しいこと。これからは落ち込んでいるときこそチャンスだと思って、いろいろ角度を変えて考えてみようと思いましたね。
彼のように“悲しい曲を作るのが好き”って明るくポジティブに言える人ってなかなかいないし、それもすごくカッコいいなって思いました。
Porter Robinson & Madeon
“Shelter”
popculture
ポーター・ロビンソン
1992年生まれの現在24歳。アメリカ出身。2010年代、シーンに彗星のように現れ、その独特な世界観で若くして大成。大の親日家としても知られている。
植野 有砂
アパレルブランドFIG & VIPERのクリエイティブディレクターとして活躍しつつ、2009年からはDJとしても活動。ネオギャルという新たなカルチャーを開拓。
Photo by ARISAK