他にはないアプローチで人気を博す野外パーティ「RAINBOW DISCO CLUB(以下、RDC)」が、今年で15周年を迎え、4月19日(金)~4月21日(日)に静岡県東伊豆クロスカントリーコースにて開催された。

今年もダンスミュージック好きのハートを掴むRDCならではのラインナップに加え、クオリティの高いフード、オリジナルグッズ販売なども充実。今年ののべ来場者数は約10,500人。開催期間中はこれまでにない晴天に恵まれ、来場者たちは音楽と遊びに集中できた素晴らしい3日間を過ごすことができたのではないだろうか。

パーティが終了した帰り道、レポート記事を書くにあたってRDCのことを考えていたら、この素晴らしい体験を与えてくれた中心人物に話を聞いてみたくなった。早速オファーをしたのも束の間、会場の撤収を終えた帰りの車の中で、主催者のMasahiro Tsuchiya氏がインタビューに応えてくれた。

以下、インタビューを交え、2024年のRDCのレポートをお届けしよう。

Text:Kana Yoshioka

――RDC 2024おつかれさまでした。天気にも恵まれ、素晴らしい3日間を過ごすことができました。

Masahiro Tsuchiya「ありがとうございます。ちょうど撤収が終わりまして、やっと2週間ぶりに帰ります(笑)。今年はここ最近のRDCでは天気に恵まれた方だったので、皆にとってもとても良い時間だったのではないでしょうか」

――今年は15周年でしたが、どのような年にしたいと思っていましたか?

Masahiro Tsuchiya「毎年その時にしか作れないことがあるんですけど、15周年を迎えるにあたり、10周年のことを振り返って考えることが多かったですし、特別なものにしたいなと思う気持ちも強かったので、僕らが好きなアーティストの方々に来てもらいたいと思っていました。ブッキングに関して、昔よりも今の方がずっと頭を悩ませているようなことをしているんですけど、タイムテーブルが組み上がった頃にはとてもいいアーティストが揃ってくれて、15周年らしいものができそうだなと、気持ち的にポジティブな方向へ向かうことができました。実際に終わってみて今も耳にも心にも残っていますが、こんなに素晴らしいアーティストの方々が出演してくれたんだと感無量でした。周りの人たちにもたくさんお祝いをしていただき嬉しかったですね」

――お客さんも質の高いプレイに反応できる、純粋に音楽が好きで、遊びが好きな人たちばかりだったと思います。

Masahiro Tsuchiya「今年は海外のお客さんも多く、若い世代の人たちや今年初めて来たという方も多かったです。長くパーティを続けているとそのまま年齢層が上がっていって、内容に変化をつけることが難しくなってしまうことがありますが、幸いなことに今年は新しい世代の人たちもたくさん集まってくれました。10周年を迎えた時は、やっとスタートラインに立ったというか、いろいろなことを経験した上で一段落ついた感じがしたんですけど、15年を迎えてまたひとつ新しいレイヤーに入ったというか、15年間やってきたことがやっと形になってきたと感じました。いろいろな人たちが音楽を通じて、同じ空間を共有して楽しんでいる姿を見て、とても感慨深かったですね」

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初日、お客さんが集まり出した午後の会場内を歩いていると、実に様々な人たちが遊びにやってきていることに気付く。年齢層も幅広く、日本人だけではなくヨーロッパやアジアからやってきた人たち、ハンモックやキッズエリアで遊んでいたり子供たちやお父さんの胸に抱かれた赤ちゃん、ワゴンにちょこんと乗った犬の姿など、誰しもが平等にパーティに遊びにやってきた感じが見受けられた。

そして、各々ファッションを楽しんでいるオシャレな人たちが多いこと。会場の雰囲気を一層パーティ感のあるものにしてくれていて気持ちが上がる。今年は20代前半の若い層も多く来ていて、これから彼らが国内外問わずトップクラスで活躍するDJやアーティストたちの音楽を体験するのかと思うと、なんだか嬉しい気分にもなった。

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――エレクトロニックなサウンドを軸に幅広い視点で出演アーティストを選ばれていますが、ラインナップはMasaさんが選ばれているのですか。

Masahiro Tsuchiya「(RDCは)僕たちが始めたものではあるんですけれど、僕も歳を取ってきたこともあるので、僕の次の世代として中心で頑張ってくれているKnockとミキヒロも一緒に考えてくれています。なので、基本的には僕を含めた3人と、Red Bull Stageのタカも含めた4人で話すことが多いですね。あとはRDCレジデントDJのSisiとKikiorixからも意見を聞いたりしています」

――各日それぞれ色があり、ストーリー性のある3日間だったと思います。中でも、RDC15周年の記念にスペシャルなライヴを披露してくれたKuniyukiさんのステージを日曜日の朝にゆっくり聴いた時、なんて贅沢な時間なんだろうと感じました。

Masahiro Tsuchiya「Kuniyukiさんに関しては15周年ということもあり、僕らの中でも何か特別な形で出演していただきたいと前々から思っていたんです。それで、Music From Memoryというレーベルから何年か前に『Early Tape Works(1986-1993)』という作品をリリースされて、それが本当に素晴らしかったので、15周年に関してはその作品のライヴセットをして頂けないか相談をさせていただきました。Kuniyukiさんには作品が昔のためマスターテープからデータに起こすところからやっていただいて、ものすごく労力をかけてしまったんですが、 おかげで僕が見たいものをちゃんとした形で見ることができて本当に感無量でした」

――Kuniyukiさんもライヴの途中で「この機会を与えてくれてありがとう」とおっしゃっていましたね。また、DJ NOBUさんは15周年であるからこそ、B2Bの相手にDJ Masdaさんを選んだのかなと思いました。

Masahiro Tsuchiya「DJ NOBU君には毎回B2Bで出演して頂いているのですが、こういう貴重な節目の時には日本のDJの方とB2Bをして頂きたいと思っていたんです。それで今、NOBU君とMasda君は日本が誇るトップ DJ なので、その2人でプレイをするという無理難題を聞いていただいたんですけど、2人とも綿密に打ち合わせをして時間をかけて取り組んでくれました。興味深かったのが、ステージの左側にNOBU君、右側にMasda君が立っていたんですけど、2人の間にミキサーがあって、左側にはCDJが3台、右側にはターンテーブルが2台、NOBU君はデータ、Masda君はレコードをかけるので、各々メディアが違う中でどうまとめていくかという作業に関して音響さんもすごく気遣ってくれていました」

――ミキサーは何を使っていたのですか?

Masahiro Tsuchiya「2人には新しくAlphaThetaから出たEuphoniaというロータリーミキサーを使っていただきました。ミキサーに関してはE&Sを使っていた人やShanti CelesteとPeachはALLEN & HEATH XONE96、Four TetはPioneer DJM-V10を使っていましたね」

――各々のDJプレイで素晴らしい音が出ていたと思います。

Masahiro Tsuchiya「音に関してはトライ&エラーを続けてやってきたこともあるし、各々の音をどう1番よく出せるか、その努力は怠らずにやってきた分、今年はいい形で出していけたんじゃないかなと思います。サウンドオペレーターの方々は本当にプロフェッショナルな方たちばかりで僕は本当に頭が上がらないです」

――そして、さらに素晴らしいなと思ったのがVJやライティングの存在でした。

Masahiro Tsuchiya「VJの取りまとめは、REALROCKDESIGNの千葉さんが、ライティングはYAMACHANGが担当してくれているんですけど、選りすぐったVJの方々を各DJやアーティストに振り分けて、色味や使う映像の方向だったり、このアーティストにはこの演出というディレクションをしっかり組み立ててくれたので、皆さんにはその演出の部分で喜んでもらえたんじゃないかなと思います」

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3日間を通じて、できる限り出演アーティストのプレイを聞きに足を運んだのだが、どのDJ・アーティストも本当に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。個人的に印象深かったものをお伝えすると、初日のメインステージでプレイをしたFour Tet。エレクトロニックや太いベース系選曲を中心に音の粒子が会場内を駆け巡り、Skrillex、Fred Again..、Four Tetによるコラボレーション曲“Baby Again..”がかかった時、会場は大盛り上がり。後半30分には90年代ハウスやデトロイトテクノ、ジャングルをオマージュするトラックからThe Cureまでかかり、実に幅広い選曲とワールドクラスのDJセットを聴かせてくれた。

2日目のメインステージは、今最も勢いに乗っているYamarchy、UKより来日したBen UFO、Pangaea、Pearson SoundによるHessle Audioは前半のダンサブルなハウス寄りのプレイから後半はベース音の効いたセンスのあるエレクトロニックサウンドへ。各々の選曲が見事にクロスしたDJ NOBUとDJ MasdaのB2Bのプレイでは、後方までクリアな音が届いていた。Kuniyukiのアンビエントセットからスタートした3日目。RDCの顔ともなっているKenji Takimiが安定のあるハウス、ディスコと多面な選曲で日曜の昼下がりをご機嫌タイムに。ベテランDJ Prins Thomasから、小雨が降る中、RDCフレンドと言っていいRush HourのAntalが記念すべく15周年のラストを飾った。

一方、夕方から夜にかけてオープンしていた体育館を使用したRed Bull Stageでは、日本、アジア、ヨーロッパの実力のあるDJたちが個性のあるDJプレイを聴かせてくれ、VOIDのスピーカーから良い音が始終流れていた。UKの新鋭saluteとTim ReaperはUKガラージ、ハウス、ベースといった人気のサウンドをプレイし、Stones Taro、SAMO、Mr. Ho、HAAiなどは、各々が解釈するエレクトロニック・サウンドを勢いよくプレイし、会場は深夜まで踊る人々で溢れかえっていた。


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――15周年ということもあり、RDCの歴史についてお聞きできればと思います。2010年に第1回を晴海埠頭で開催されましたが、当時RDC をやろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

Masahiro Tsuchiya「僕はずっと野外のレイヴパーティに行っていたんです。それは日本以外にも海外だったり。最初に行ったパーティは『RAINBOW 2000』ですね。高校生の頃にバイトしていたところの先輩に連れて行ってもらった最初の野外パーティでした。そこから野外パーティに遊びに行きながら、いろんな野外のお手伝いをさせて頂いたり、同時にクラブでイベントをやっていたんです。RDCを始めた頃は僕以外にも外国人の2人がいました。今は彼らは日本を離れてしまったので、僕が主催者という形で残ったんですけど、彼らもすごくいいクラブパーティをやっていて、出会ってから一緒にパーティをやっていたんです。その流れで晴海埠頭の会場を見つけることができて、それで立ち上がったのがRAINBOW DISCO CLUBです。ちょうどその時、DJ Harveyが日本に来られるという連絡を頂いたので、彼を呼んで初開催を行いました」

――“RAINBOW DISCO CLUB”という名前がすごく素敵だなと思っていました。ディスコを野外へ持っていってしまう感覚というか。名前の由来を教えてもらえますか。

Masahiro Tsuchiya「僕自身ディスコは好きなんですけど、いろんな理由があってこの名前になりました。最初にやった晴海埠頭は、目の前にレインボーブリッジがあったんですよね。それも理由の一つだったりするし、RDCはステージがほとんど真っ黒なことにも理由がありまして、“レインボー”というと虹色ですけど、僕らは虹色を使うのを禁止しているんです。それはどんな色も受け入れるということでもあって、音楽はもちろん人種、国籍だったり、そういうものを全て受け入れるという意味での虹色で、“何を混ぜても僕らの色は変わらない”ということで、黒を使っているんです。言葉としての色彩感、それは全ての人を受け入れて、あらゆる人たちを歓迎するという意味合いもあります。なので、お客様同士のトラブルはほとんどなく、大人だけでなく子供やペットも遊びに来てくれるようになりました。こういう我々の行動が未来に少しでもいい影響を与えることができたらいいなと思ってます」

――踊っているとき、会場内を歩いているとき、皆が平等にそれぞれのスタイルで楽しんでいる……会場にいてそんなことを感じる瞬間がよくありました。晴海埠頭から東伊豆へ場所を変えたきっかけは何だったのでしょうか。

Masahiro Tsuchiya「晴海埠頭の会場がオリンピックの選手村になってしまうことが決まっていて、いずれ使えなくなると事前から言われていたので、2014年まで晴海でやらせて頂いて、その少し前から会場探しをしていたんです。 野外イベントは元から大好きだったので、自分が一番好きなやり方でやりたいなと思って、それで伊豆という場所に辿り着きました」


――今年は良い天候でしたが、これまでのRDCは天候に恵まれない年もあったとお聞きしています。天候との戦いをどう乗り越えてきましたか?

Masahiro Tsuchiya「乗り越えられてきてるのかな……コテンパンにやられてきたし、自然にはかなわないです。 だけどこうしてやってこられたのは、引けないじゃないですけど、やっぱり楽しみに来てる人たちがいること、一生懸命頑張ってくれているスタッフの人たちがいるので、そういうみんなが背中を押してくれました。 僕1人では何もできないし、みんなのお陰でパーティは成り立っているので、その彼らがパーティを続けようという決断を僕にさせてくれたんじゃないかな。本当に皆の力あっての自分だし、人に恵まれていることに心から感謝しています」


――RDCは世界的にも人気のパーティとなってきていますが、RDCの強みとは何だと思いますか。

Masahiro Tsuchiya「本当に優秀で信頼できる仲間がいること、アーティストの人たちがすごく応援をしてくれること、そして素晴らしいオーディエンスに囲まれていることが僕らの強みなんじゃないかなと思います。すごくシンプルなことなんですけどね。それは日本を出ても変わらないんじゃないかと思います」

――フランス・バリ(現在は既に開催が終了)を皮切りに、これから海外でもRDCが開催されると聞いております。

Masahiro Tsuchiya「これからバリのPoteto Headで3日間パーティをやります。Poteto HeadはThe World’s 50 Best Hotelsにも選ばれるほどの素晴らしいホテルですが、その中を使ってパーティさせていただきます。Potato Head内にDJ HarveyがプロデュースをしたKlymax Discothequeというクラブがありまして、そちらでもパーティを行います。アムステルダムでは、これまでRush Hourの協力を得て一緒に屋内でパーティをしたことがありますが、RDC単独では初めてとなります。あとはポルトガルのリスボン、韓国、他にも年末に向けていくつか海外での展開を進めています。今年はRDC15周年アニバーサリーイヤーなので、国内外問わずいろいろ仕掛けていく予定です」

――RDCファンヘメッセージを頂けますか。

Masahiro Tsuchiya「多くの皆さんが支えてくれたお陰で15年やれてきました。それに関しては言葉にできないほど感謝しています。音楽を通じて、新しい人生の選択を持つことができるような人たちがより増えてくれたらとても嬉しいですし、これからもそういう方々といい音楽と共に過ごしていけたらいいなと思っています。今年はすごく素敵に始まって、とても美しく終えることができました。僕らが伝えたいことは、DJの人たちが音楽を通じて代弁してくれたと思います。これからも皆の期待に応えられるよう努力をしていきますので、是非、来年以降も期待して待っていてください」


https://www.rainbowdiscoclub.com