去る5月31日、中野雅之、川島道行の2人からなるBOOM BOOM SATELLITESはブログで19年に及ぶ活動に終止符を打つことを発表した。

かのエイフェックス・ツインやKen Ishiiらを輩出したベルギーの世界的レーベル:R&Sからデビューし、その後日本はもとより海外でも活躍。

本邦のダンスミュージック〜音楽シーンに多大な影響を残してきた彼らが、6月22日に発売となる『LAY YOUR HANDS ON ME』をもってその活動を終了する。

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そんな大きな決断を果たした彼らは今何を思っているのか。
今回は幸運にも中野雅之に話を伺うことができた。

活動終了にあたっての今の率直な気持ち……
死という局面を前にして川島は何を思っていたのか……
そんな川島の隣で中野の胸に去来したものは何か……
遺作『LAY YOUR HANDS ON ME』に込めたもの……
そして、BOOM BOOM SATELLITESとはなんだったのか……

その他、中野は実に真摯に全て答えてくれた。

今明かされるBOOM BOOM SATELLITESの全て。
まずはその前半となる今回は、中野の今の率直な思いを届けよう。

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——まずは今の率直な気持ちを教えてもらえますか。

最後の作品を作り終えたとはいえ、こうして言葉で作品を伝えていくことも大事な仕事だし、まだ気が抜けない部分がありますね。

一方で、今はまだBOOM BOOM SATELLITES(BBS)という看板を掲げて日々生活している中で人と会い、この作品について話をし、過去を振り返る作業をしているといろいろな感情がこみ上げてきます。

いつも通りの日常なんですけど、感情の振り幅がものすごくあるんですよ。それが大変と言えば大変ですけど、使命感を持って最後の作品を伝えていきたいと思ってます。

——これまで数多くの作品をリリースされてきましたが、やはり今回に限っては発売までの期間もいつもとは違うわけですね。

いつもだったら、作品が完成するとわりと忙しいんですよ。ライヴがあったり、新しい楽曲をプレイするためのリハーサルが立て込んでくるし。

やはりライヴの出来によって作品の伝わり方も変わってくるので、制作を終えたとはいえ油断できない。
その作品を持って僕らはいろいろな場所へ行くわけで……言ってみれば、地続きな感じなんですよ。

でも、僕たちはもうこの作品を今まで当然のようにやってきたライヴで表現することができない。
それは、どこかちょっと体が宙に浮いたような感じがしますね。

——今回、この作品をもってBBSとしての活動に幕を下ろすわけですが、それはいつごろから意識していたんですか?

これが僕らの最後の作品になる……そう意識したのは(去年の)夏ですね。

それは川島くんと話し合って決めたというよりは、彼の脳のMRIを見て、主治医の話を聞いて。

去年の夏、僕らは様々なフェスやイベントに出演していたんだけど、そのときから僕は川島くんの変化を少しづつ感じていたんですよ。そして、先生からその証拠を見せつけられた。

先生の話では当時の川島くんの状態というのは異常……、ライヴがやれている、日常生活を送れていること自体が不思議だと言っていて。
写真で見る限り、それが不可能であるはずのことが、彼の頭の中で起きていると。

そうなると、当然いつまで何ができるのか、そもそも命がいつまで続くのかという話になるわけですが、そうは言ってもそこには個人差があり、治療もまだ諦めたわけではない。

ただ、楽観的に考えていると自分たちが何もやりきれなかったことをすごく後悔すると思ったんです。

僕はそのときに年内(2015年)に川島くんの歌を録らないと作品を形にできなくなってしまうだろうと思った。
それが7月末ぐらいのことですね。

川島くんと僕では人間性も性格も違いますし、それ以上に僕は病気を煩った当の本人でもない。
きっと、その捉え方、受け止め方も全然違ったんじゃないかと思いますね。

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——そのとき川島さんは何か仰っていたんですか? 作品を作るという考えに対して。

仮に、残りの人生があと1年だと仮定した場合、川島くんは何をしたいのか……。

たとえば家族と旅行に行きたいとか、誰かと会いたいとか。彼がやりたいこと、僕はそれを出来る限り叶えてあげたいと思っていて。

ただ、一方で本音としては1本でも多くライヴがやりたいし、1曲でも多く残したいという希望もあって。

とはいえ、そこでもし川島くんが残りの人生を音楽ではないことをして過ごしたいと言うなら、それを押し付けることができないのもわかってました。

そこで彼に何がしたいか、選択肢を並べて聞いてみたら、彼が最初に選んだのは“音楽”だったんです。

——死というものが目前にありながらも音楽を選ぶ……それは本当にすごいことだと思います。中野さんは以前FLOOR netのインタビューでデビュー10周年を前に “まさか1つのバンドで10年やるとは思ってなかった”と話されていました。
しかも、10年より先の活動は消化試合だということも言っていたのですが。

僕の人生の大半はこのバンドに捧げてきましたが、そのときの思いは今も変わっていません。

ただ、違ったのは10年続けた後の活動も消化試合ではなかったということ。

音楽家や芸術家という生き方における消化試合というのは、営業的な作品の焼き直し……自分の作品の複製を作り、みんなが一番好きな楽曲をライヴで披露する、それを続けることなんですよ。

言うなれば自分の身を消耗せずに燃費よくまわしていくようなこと。
この世界で生きていれば、そういった形で効率的に活動して幸せに生きることもあるわけだけど、僕が今振り返って思うのは消化試合になるどころか、学生時代に川島くんと遊びから始めたものがそのまま続いた、いわば“青春”だったんですよ。

——今も青春のまっただ中にいると。

それがようやく終わる、そんな感じがしてます。

僕はもはや40歳を超えましたけど、“もう一度青春を”って恥ずかしげもなく言えるんですよ。

中学生、高校生で初めて楽器を手にして友達と何かを始めるときのワクワクするような気持ちや、初めて曲ができたときの感動、喜び。

そういったものが最後まで続いたんです。そして、それは本当に青春だったんです。

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——消化するどころか、試合、青春はずっと続いていたんですね。
では、その長きにわたる青春の中でもっとも印象に残っていることは?
個人的には、名門レーベルR&Sからデビューしたことが最も鮮烈でした。

一番となると難しいんですけど、デビューのときは本当に楽しかったですよ。
まずそこでひとつの大きな夢を叶えることができたし。

僕はせっかく作った音楽なんだから、より多くの人に聴いてもらいたい思いが強く、海外でもリリースしてみたかったんです。
今とは状況や背景が違い、いろいろな意味でチャレンジングなことでしたけど、その分喜びも大きく、すごく嬉しかったですね。

——その後の活動においても主に海外を主戦場に活躍。それはそれまでの日本のアーティストにはなかった形だと思います。
でも、こうもBBSとして長きに渡り第一線で活躍することができた理由はどこにあると思いますか?

川島くんとは友達から始まり、その後お互いのことを諦めなかったからですね。

諦めない……そうは言いつつも僕らは他人なので自分の考えを全て共有したり、完全に同じ方向を向くことはできないけど、そこで妥協するのではなく、頑張ってすり寄せていかなくてはならない。

そういうことが様々な局面であるんですよ。
ただ、それは年齢を重ねるごとに変わり、長い時間を共有することで徐々に価値観が近づいていくものでもある。
ニュアンスや空気感とか、わざわざ言葉にしなくても共有できるものの数が少しづつだけど増えていくんです。

とはいえ、どうしてもひとつにはならないから、そこは頑張り続けなくてはならなくて、相手に何を求め、自分は何をし、相手に何をさせるのか、そういったことを諦めずにやることで青春が続いたんだと思う。

音楽の遍歴や活動のフィールドはいろいろ変わったけど、その関係性は知り合ったころと何ら変わらなくて、しかもそれがそのまま大人になっていったような感じで。

——すごく理想的な関係。

しかもメンバーが2人だけだったので、曖昧な部分がなかったんですよ。

もしももうひとりメンバーがいたら、例えば僕と川島くんの仲が悪くなってももうひとりが緩衝剤になることで、その問題は本質的には解決しないけどなんとなく過ごせてしまう。
そういった多少曖昧な関係性が生まれることがあったかもしれない。

そして、それが4人、5人になればバワーバランスも生まれ、妥協点でもってその関係性を維持することもある。

僕は本当に5人が同じ方向性を向いていることなんてあり得ないと思うんです。でも、2人だったらそれはなんとかなる。

逃げる場所がないので。だからこそモチベーションも全く下がることなく、今までやりきることができたんだと思います。

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——それはまるで夫婦のような感じですね。

いい面ばかり言ってますからね(笑)。

ただ、僕らは決して仲がいい夫婦なわけではないし、それこそ結局僕は川島くんについてわからないこともたくさんあるんですよ。

川島くんは今、物事を論理的に考えることが難しくなり、もはや何を言っている川島くんが本当の川島くんなのかわからなくなってきているんです。

会話をしていても煙に巻かれてしまったり。彼はもう自分の体を使って歌ったり、演奏したりすることは絶対に不可能な状態になってしまったんだけど、それでも音楽をやりたい気持ちが本当に残っているのか、僕はそれが知りたいんだけどもうできない。

ただ、川島くんがかろうじて使っているラップトップに入っている音楽を見ると、意外に新譜が入っていたりするんです。

やっぱりまだ音楽に興味があるのかなと思うんだけど、まわりの方に聞くと全然聴いていないそうなんです。

川島くんは一体何を考えているのか……彼は僕にはもう計り知れない世界に行ってしまっているんですよ。
それはズルいなって。

今の川島くんのことをもっと知りたいのに、それはもう永遠にないわけで。

——今でも新譜を求めるというのはスゴいですね。死の間際には昔のことを振り返るようになるとよく聞きますが、いまだに新しいもの、発見を求める。それは音楽家としての執念なのか、それとも性なのか。

執念というよりは日常ですよね。僕は川島くんと大学生のときに出会ったんだけど、当時から異常なほどCDやレコードを持っていて、音楽に対して並々ならぬ興味があったんですよ。

それは面白がりたい、楽しみたい、感動したい、様々な思いがあり、それを求めて買い続けていたんだと思う。

たしか1年ぐらい前に川島くんは“最近の新譜、新しい音楽は買いづらい”って言ってたんですよ。それはトレンドがわかり辛いからって。
でも、そうは言いながらも旬なものを聴いていたので、全然大丈夫だって感じもしていて。

そしてそれは今も、きっと最後までそうなんでしょうね。それこそ、彼のパソコンにはアノーニとかも入ってましたし。

——先ほどの話では、新作『LAY YOUR HANDS ON ME』がBBS最後の作品になるであろうことは昨年の夏の時点で思い至っていたということでしたが、そのことは作品に何か影響を及ぼしましたか?

これまでの制作とはやはり違いましたね。まず、あまり考えないで作るということが。

そもそも先のことを考えることができない状態でしたけど、頭のいいアーティストであれば2、3作先のことを考えて作品を作る人もいる。

僕はそこまで器用じゃないけど、これまでなんとなく先を見ながらやっているという感覚はあったんです。
でも、今回はそれがない状態で、ただ目の前の楽器に無心で向き合うようになっていたと思うし、さらに言ってしまえば歌があればそれでいいぐらいシンプルな考えになっていて。

川島くんの状態が悪化していることもあり、自ずと彼のリリックもシンプルになっていったし、歌自体も歌い手としてロックボーカリストとしての業が抜けていったんです。

要は、ロックボーカリストが虚勢を張るようなこととは真逆の立ち振る舞いになってきていて、とても純粋な歌が録音されていくんですよ。

それを僕は隣で観察し、記録しながら、あとどれぐらいレコーディングで実際に声を出していられるのかを冷静に判断しつつ、川島くんのミュージシャンとしての変化を興味深く見てました。

すると、人間の脳というのは実にいろいろなことをしているということが、すごくリアルなところで見えてきて。

でも、川島くんはやっぱり最後まで諦めなかったんですよ、レコーディングも。それは心からすごいと思いましたよね。

——BBSの作品には常に新しさと普遍性が同居していましたが、今作は既存のそれとはまた違った形の魅力を感じました。この作品だからこそのものというか。

状況が作品に何かしらの影響を与えることは避けて通れないことだと思うし、普遍性という意味ではいつも持てたらいいなと思って作品作りをしてきましたが、確かにそういったものがこの作品にはわかりやすくあるような気がしますね。

長く聴かれるものになったんじゃないかと思います。

——あとは、正直これが最後という感じがしません。

最後という意識は音楽に注ぎ込む面ではなかったですけど、これで後悔してしまうともうリベンジをする機会がない、そういった緊張感や責任感は強くありました。ただ……

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