今年で還暦(60歳)を迎えたWatusi(COLDFEET)。
9月4日(火)にはそれを記念したスペシャルパーティが開催される。
そこで、今回はWatusiのデビューから40年間に渡る音楽人生を辿るべく緊急インタビューを敢行。
すると、その歴史の深さもさることながら、今、そして未来に向けての思いが続々と……。その言葉の重みたるや、ダンスミュージックに関わるもの必読。
還暦、されど折り返しと語るWatusiの音楽にかける思い、そして信念をぜひ。
全てがロック…音楽ありき…新しさを追求する日々は今なお続く
——今年で還暦を迎えたんですね……正直驚きました。
COLDFEETを始めてからは、少しずつ若返っていたようなところもあったけどね……でも、みんなすぐに60歳になるよ(笑)。
ただ、最近改めてTO DOリストを作ったら、あと40年は頑張らないといけないってわかってさ(笑)。まだまだやるよ、年々新しいことも起きているしね。
——まだまだ日々刺激を受けているんですね。
僕は昔から新しいものしか興味がない。基本的に、僕は全てがロックだと思ってやっているんだよね。いわゆるロックと言われるものは、僕の中では1977年で終わってしまったけど、その後にでてきたものも全てロックなんだ。それはヒップホップ然り、ハウス然り、テクノやドラムンベースもね。
今は世界中の全ての音楽が聴き放題になり、あらゆるカルチャーに手が届くようになった。そんな中で刷新していくものに今も興味がある。
——そのモチベーションは40年間変わらない?
小学生のときから変わらないな。僕は天の邪鬼だからさ、人が好きだって言うだけで嫌になるし、新しいものを探すのが好きなんだ。そこに自分の意味のようなものを感じている節があるね。
——Watusiさんの人生は音楽が全て?
他に何の趣味もないし、救われたものもないからね。
音楽はカルチャーだから、それに付随するもの、それこそファッションなんかは知識として持っているけれど、あくまで音楽ありき。
ただ、今年になって趣味を見つけたいなと思って、ようやく見つかったのが変型ジャケット集め。本来レコードは聴いたり、DJに使うために買うんだけどね。最近は結局趣味としても集めてる(笑)。
——それもかなり音楽とリンクしていますけどね(笑)。
ただ、それはほとんど聴かない(笑)。知っている曲も多いし、聴いてみれば楽しいと思うんだけどね。1000枚ぐらい集まったら本でも出そうかな(笑)。
——アナログはここ数年再燃していますからね。
そうだね。でも、僕は正直そこに一喜一憂はしていないかなぁ。若いころ、そういったムーブメントに浮かれてきてしまったから。
本質的なことが少しずつおざなりになってしまうのが歴史であり、人間なんだよね。歳をとるとそういったことよりも自分のコアなことを大切にしていければいいって今は思ってる。そうは言っても若いときは浮かれちゃうものだけどね(笑)。
——酸いも甘いも知っているからこその言葉ですね……。
40年間の歩み…9.11、3.11を経てWatusiの中で起きた変化
——この40年間を改めて振り返ってみて、いかがですか?
若いころ、それこそパンクの時代、東京ロッカーズ・LIZARDのモモヨさんと最初にツアーでまわったときは、日本中がスゴイことになってたね。そのときはパンク、エナジーのスゴさを改めて感じたよ。
そして、JAGATARAと知り合って、(江戸)アケミさんと話したら、まったく世界が違うというか、考える次元、重みが違っていた……。
他にもいろいろなことがあったけど、一番印象深いのは、やっぱり9.11や3.11になっちゃうのかな。
——そうなんですね……。
エンターテインメントに関わる人は、そこでみんな変わったよね。自分たちなりの“ユナイト”、“ユニティ”の形を探さないといけないと思ったし。
ああいったことが起きると政治的、文化的、様々な背景で音楽は変異することになるわけだけど、僕は戦後に生まれ、70年安保とかにも間に合わない世代だったから、あのとき本当の現実というものを改めて目の前に晒されたというか……そういう感覚があるかな。
——やっぱり、そこで音楽に対する考え方も変わりました?
変わったね。僕らはこんな脆弱なことをやっていたのか……と思ったよね」
——ただ、そこで音楽で救われたという人も大勢いると思います。
それも確かにある。3.11の後に何もできない状況のなか、そこで僕が救われたのも音楽だったからね。
震災後、10日後ぐらいに夜中に流れてきたディスコだったんだけど、そのメロディが少しずつ心を癒してくれていたんだよね。
それまで僕はディスコがあまり好きではなかったんだけど、そういった自分が簡単に捨ててきたものも同じくひっくり返さないといけないと思って。そこからディスコの歴史を改めて調べたんだ。
——Watusiさんはこれまで多くのバンドで活動されてきましたが、それは自分の音楽性の変化とともに変わってきた?
最初は学び。あとは、企画的なことも多かったけど、正直僕は売れない音楽ばかりやってきたから(笑)。アルバム2枚までは出るんだけど、なかなか3枚目が出ない(笑)。
——売れない音楽と言いますが、それこそ名前のあるメジャーアーティストのプロデュースなども数多くやっていますよね。
COLDFEET以前の本名時代もキョンキョン(小泉今日子)や原田知世さんとか、いろいろな人とやらせてもらってきたけど、僕は常々ミュージシャンだと思ってる。アーティストという以前にね。
僕は自分で大抵の事はできるのがミュージシャンだとも思ってて。それだけにあらゆる活動を喜んでやっていたし、時代もよかった(笑)。
僕らのことを面白がって様々な話がおりてきたけど、それは全て僕がどうこう言ったわけじゃないし、全て楽しんでやっていたと思う。ただ、9.11があってからは、ちょっと意識が変わったかな。
日本に残って、日本でやろうと。シンプルに自分たちが今立っているフロアに向けて、それまで自分がやる必要はないと思っていた4つ打ちをやり出したり。
あとは、(COLDFEETの相方)ローリー(ファイン)に何がやりたいのか尋ねたら、COLDFEETとして多くの詞曲を作ってきて、それが認められないのは悔しいんで作曲家としてもやってみたいって言ったんだよね。僕は全然いけると思ったから、プロデュース業も進んでやりだしたんだけど、そうしたら(中島)美嘉をはじめ、気に入ってくれる人もあちこちにいて。
——ある種、自然な流れだった。
そうだね。当時は、そうやって様々な音楽を好きになってくれたらいいなと思ってた。アーティストはもちろん、聴いてくれる人にも何かしらのサムシングが起きたらいいなって。
音楽人生の分岐点…
“お前はお前のダンスを踊れ”
——この40年間で音楽も大きく変化したと思いますが、そのあたりについては?
音楽的にはあまり思うところがなくてさ……僕の中では極端に言うとアケミさんとの出会いくらいかな。大きな変化があったのは、アケミさんから“お前はお前のダンスを踊れ”って言われた前と後だけ。
——それがターニングポイントなんですね。
アケミさんが亡くなった後、JAGATARAなきJAGATARAに参加することになって、彼の意思を引き継いでJAGATARAのメンバーとTANGOSというバンドもやったけど、常に探していたのは自分のダンス、自分だけのダンスを踊れているのかということ。
その意識を持って音楽をやるか、それとも見よう見まねで音楽やその背景に憧れてやっているのか、僕の中ではその違いだけ。
ただ、今は自分だけのダンスができているかどうか、それがゴールではないとも思っているけどね。
——ちなみに、Watusiさんは根本的にどんな音楽が好きなんですか?
ジャンルとかではなく、いい“音”が好きだね。
そういう意味では、昨今の日本の音楽はヒドい音が多い。もったいないよ。それはエンジニアの問題だとも思うけどね。
日本で本当にマスタリングができる人なんてそうそういないし。僕は海外のこの人はっていうマスタリング・エンジニアと直接向き合ってやってきたけど、彼らは機材と耳、そして本質の捉え方が違うんだよね。
この音楽は何が大事で、何をすればいいのかわかってる。機材とその感覚によって音楽がより伝わり、強さが生まれるんだ。
僕はエンジニアは自分のプロデューサーだとも思っていて、そうして海外で得た経験は自分の音楽の作り方にも大きな影響があった。今は予算の問題もあるかもしれないけど、僕も自費で海外にマスタリングに行く事の方が多かったし、そうやって自分に投資しないと返ってこないよね。つまり、それだけやる価値があるということ。
単純に音楽は一緒に創る現場現場で、直接熱量で伝えることがベストな方法だしね。
——流行りの音楽とかは興味がない?
次に何が流行りそうなのかは興味がある。僕がクラブに行く理由も、クラブが好きなことと、クラブに行かないと次に流行る音楽が聴けないから。
そういう意味では既に流行しているものやシーンといったものは意識してないかな……今は“俺たちのシーンが”とか言っているヤツに限って未来に向かっては何もしてない感じがするし。僕は“これから”が好き。
ただ、もちろん昔の曲も好きだし、今はダンス・クラシックを今聴けば40年前には全くなかった感覚がある。その新しさも楽しいよね。自分の中の新しさを発見できることが。
——そう考えると、音楽には無限大の楽しみがありますね。
そう思うよ。僕は、好きな曲は200回以上聴くべきだと思ってる。なぜなら、201回目にも新しい音が聴こえた経験があるから。
音楽って、そう簡単に全てを教えてくれないものなんだよね。最低201回聴かないと(笑)。
DJとしてのたゆまぬ努力、最低限守るべき礼儀とは?
——どんな曲でそれを経験したんですか?
(マイケル・ジャクソンの)“Billie Jean”。音だけでもどう録音していったのか順番まで見えてくるし、クインシー・ジョーンズがどうプロデュースしたのかもわかる。
——それは201回聴いたから?
100回ぐらい聴くといろいろとわかってくるんだよね。1番のサビ前に遠くにちょっとだけ歪んだオルガンの音が聴こえてくるんだ。でも、“Billie Jean”にはオルガンは入ってない。それはつまり一度オルガンを録ったもののNGにして、当時アナログだから隣のトラックに転写するんだけど、録音したトラックは消しても隣のトラックの転写音が薄く残ってて聴こえてるんだと思う。そこから、クインシーがいかにトライ&エラーを重ねてきたのかがわかるよね。
いろいろな本を読むと、この曲は200回ミックスし直したっていう話もあるけど、200回聴くとそれも頷ける。
——なぜ“Billie Jean”だったんでしょう?
マイケル・ジャクソンのカバーアルバムを作れることになって、マイケル以上にマイケルは作れない……ヤバイと思って聴き出したのがきっかけ。そしたら本当にスゴくてさ。以前から普通に聴いていたし、DJでかけたこともあったんだけどね。
——でも、200回以上聴くことで改めてスゴさを知ったと。
スゴさというか、改めて音楽は素晴らしいなって思ったよね。普段から全部そんな風に向き合ってるわけじゃないけど。
重複するけど僕は新しいものが好きだから、その中でも聴いたときに何か変だなって、いい意味で違和感を感じたときに注目するよね。
——最近注目しているアーティストはいますか?
いい曲を作るなって思ったのはカマシ・ワシントン。彼はステキだよね。いい曲を作るし、あの大量制作加減、勢いの止まらない感じも頭が下がる。フランク・ザッパみたい(笑)。
——いい曲を探すにはどうしているんですか?
ダサいけど……そこは努力(笑)。月に一度は時間を作って、チェックしておいた曲を16時間ぐらいかけて聴いてる。
SNSでチェックしたものをまとめて辿って聴いたりもしてるね。
僕はその努力ができなくなったら、少なくともアレンジャーとDJは辞めようと思ってるんだ。恥ずかしくて、DJなんて名乗れないよ。
僕はDJとしてのスキルがあるわけじゃないし、アレンジャーとしても素晴らしい人がたくさんいて、才能があるのに辞めていく人も見てきた。それだけに、努力をすることが最低限の礼儀。僕は楽しんでやっているんだけどね(笑)。
9/4の還暦祝祭に向けて…ここからさらに面白くなる
——9月4日(火)にはWWW XにてWatusiさんの還暦を祝ってスペシャルなパーティが開催されますが、これはひとつの集大成と言っていいんでしょうか?
もしかしたら、今後はひとつのことをやるにも10年ぐらいかかるかもしれない。それこそ東南アジアを盛り上げ、全米TOP40に入れるなんて目標は10年以上かかるかもしれない。
その他にも、これからまだまだやることが40年分もあるから、言ってみればこれがちょうど折り返し。今や集中力はあるけど、持続力がなくなってきているから、ここらでみんなに肩を押してもらおうかと思ってね(笑)。
——今回、豪華なアーティストが多数出演されますが、Watusiさんが楽しみにしていることは?
ステージでも何かが起きると思うけど、僕はその後が面白くなると思うんだよね。こういう場所から何か新しいものが生まれてくることってよくあるから。
楽屋を含めて新たな繋がりができる、そういうハブみたいなものになったらいいと思うし、来てくれたお客さんも初めて見るミュージシャン、アーティストに触れて、それをさらに深掘りするきっかけになったら嬉しいな。
——Watusiさんの活動も40周年ですが、COLDFEETもデビューから20年。その存在はやはり大きいですか?
僕がこの20年、尊敬し続けているアーティストはローリー・ファイン。彼女は僕にとって最強のパートナーであり、最強のボーカリスト、ソングライターなんだ。
様々な事情があってここ数年はあまり活動できていないけど、僕はまた活動できることが楽しみ。だから、僕はWatusi(COLDFEET)として音楽をずっと続けてる。特別な存在だよね。
Watusiの心に残る負い目…そして、日本のシーンのこれから…
——Watusiさんは日本のシーンの現状についてはどう感じていますか?
ダンスミュージックがマスに広がることについては、悪いことはないと思う。そこにビッグスター、カッティングエッジな存在が必要なのかもしれないね。ミュージシャンにしろ、DJにしろ、今の日本にはそういった存在が少ないね……それが寂しい。
音楽の聴き方が変化し、CDを買ったことがない人が増えている中で、全てフリーダウンロードで音楽を入手しながらも作曲家からリリース年まで、何から何まで知っている人もいる。それは作家に対して何のリスペクトもないかもしれないけど、メチャクチャ愛情を持っている人もいる。
多様化しているとも言えなくもないけど……原盤ビジネスの終焉はこれからを見えづらくもしている。
——ちょっと世知辛いですよね。
でも、そこで音楽を買わせる、絶対的なスーパースターが必要なんだよね。ビートルズも(エルヴィス)プレスリーもいない世の中では仕方がないのかもしれないし、細分化の時代、21世紀はそういう時期なのかなって個人的には思ってる。
でも、突然変異で若いスターが生まれて、時代が動くのはまた見たいな(笑)。
ただ、以前とは違い、今は人の心に空いた穴を埋めてくれるのは音楽以外にもたくさんあって、音楽が数多くの選択肢のひとつになってしまっているのもわかる。けれど、それでもきっと変わるタイミングがある。それは世界的にもね。その前触れのようなものも少しは感じてる。
僕らが憧れたようなスーパースターは、もしかしたら今の時代には必要ないのかもしれないけど、期待はしちゃうよね(笑)。
——最後に、Watusiさんの今後のついて教えていただけますか。
今はいろいろあって忙しくさせてもらっているけど、ひと段落したらDJ協会を作ろうと思ってるんだ。みんな必要だと思っているわりに、誰も作る気配がないから、ひとりでやってやろうかなと(笑)。
そこで何をやるかと言えば、2020年までに日本中にいる1万人のDJ、自称DJも含めて、みんなを区分けして、リスト化したホームページを作って発信したい。そうすれば、世の中の情報、それこそクラブにおける問題なんか知りたいと思っても手に入らない人にも届けられると思うし。
実は、5年半副会長として深く関わってきた『クラブとクラブカルチャーを守る会』も先日辞めたんだ。会長のZeebraとともに勇退。今後は新会長にQ’HEY、副会長にDJ EMMAとダースレイダーという新体制になったんだよね。
——まさに激動の5年半にも及ぶ活動、お疲れさまでした。
僕個人としては、お詫びしたいこともあったからね……。
——お詫び……ですか?
僕はCOLDFEETとしての活動を含め、よく言えば自分の立っている足元で活動してきたつもりだけど、それはある意味でクラブの敷居を下げてしまったかなという負い目も感じていて。だから、自分ができることはやりたいと思って始めたことでもあるんだよね。
——そうだったんですね……。今後も音楽を取り巻く環境は刻一刻と変化していくと思います。そんな中でWatusiさんにはより一層頑張っていただきたいところです。それこそあと40年と言わず、50年、60年と(笑)。
ありがとう。でも、やりたいことはたくさんあるけれど、時間は限られているからね。
今注目している東南アジアの事ひとつとっても、向こうは文化も商習慣もビジネスの仕組みも全然違う。タイなんか、いまだに著作権もないからね……。
でも、みんな日本のことが大好きで、音楽に対する愛情もある。どこもダンスミュージックは栄えているし、それは日本以上かもしれない。
それに、韓国も東南アジアもエンターテインメントに投資する人は多いし、マニラなんかではアーティストに対して世界に出るための具体性のある育成をしているから、続々と新しい才能が出てきている。本当に面白いんだよね。
一方、僕は個で動いている日本のアーティスト、クリエイターはまだまだ弱いと思ってる。だからこそ、点を線にするように、アーティストもそういったことを意識してやるべき。そのひとつのきっかけとして、DJ協会の設立もあるんだけどね。
僕は別に今の若い世代のために何かしようと思っているわけじゃなく、未来の日本人たちが日本にいても音楽で何かができる、そう思える国になったらいいなっていう微かな願い、夢があるんだ。
ダンスミュージック、音楽だけじゃなくたくさんのエンターテインメントがあり、世界をも見据えていかなければならない今、スーパースターを育てるにも点が線にならないと。
その土台というか、きっかけくらいは作りたい。でないと恥ずかしいよ。
——それが日本に足りない部分でもあるんですね。
日本にいて、日本人のSNSを見ていてもそう思うよね。みんな文句ばかり。やっぱり動かないと。
SNSで発言することで空気が変わる、そして自然と世の中が変わっていく、そんな幻想を抱いている人がいるかもしれないけど、そんなことはないから。
僕は実際に動いている人以外は信じられない。みんなが動きだして、少しずつでも何かが変われば……それには40年、50年かかるかもしれないけど、いつの日か変わればいいんだよ。
ただ、それも今やらないと何も変わらない。少なくとも今、その気運はある。そう思うとこの先も楽しいというか、やっていけるなって思うよね。
そんな気持ちを持って、僕は今も誰よりも汗をかいて、現場を楽しもうと思っているよ。
EVENT INFORMATION
To turn sixty-Watusi 60’s celebration-
9月4日(火)
OPEN 18:00
WWW X
ADV¥6,000 DOOR¥7,000
COLDFEET
Lori Fine (Vo) / Watusi (Bass) / SUGIZO(Gt)/ 佐藤タイジ(Vo & Gt) / 屋敷豪太 (Dr) / 龍山一平 (key) / 松岡”matzz”高廣 (Per)
TDO (Tokyo Discotheque Orchestra)
Watusi (Bass) / 松岡”matzz”高廣 (Per) / 堀越雄輔 (Gt) / 會田茂一 (Gt) / 屋敷豪太 (Dr) / 龍山一平 (key) / コバヤシ・ケン(Sax) / SAKI (Tp) / 金原千恵子ストリングス・カルテット / K-Ta (Vib)
Guest Vocal:bird / SILVA / 遊佐未森
DUBFORCE
屋敷豪太(Dr) / DUB MASTER X(Mix) / いとうせいこう (Words) / Watusi (Bass) / 會田茂一 (Gt) / 龍山一平 (Key) / コバヤシケン (Sax) / SAKI (Tp)
Guest : Zeebra
DJ:DJ EMMA / DJ Genchin 総合司会:武内享
EVENT INFORMATION
PLAYCOOL presents Paint it, Red! -Watusi還暦祭 After Party-
9月4日(火)
OPEN 22:00
CONTACT
ADV¥1,000 DOOR¥2,000
Dirtykrates a.k.a Zeebra、Q’Hey、Ko Kimura、Wasei Chikada、AMIGA、Darthreider、YOKE a.k.a DJ Redblood、Naz Chris、Watusi (COLDFEET)、須永辰緒、DJ EMMA、Taira Sumida and more