DJを始めてわずか2年で『burn WORLD DJ CONTEST 2013 JAPAN』で優勝し、日本代表としてイビサのグローバルブートキャンプ『burn STUDIOS RESIDENCY』に参加。
そこで披露したプレイがアヴィーチーの目にとまり彼と共演。
世界が絶賛する彼のスキルフルなプレイはYouTubeで公開されると同時に、たびたび話題を集めている。
そんなYAMATOが新曲“Shining”をリリース。
これまで彼が発表してきた楽曲とは明らかに違うテイスト。さらには、普段彼がフェスやパーティでプレイするセットとも一線を画す、明らかにYAMATOの新たな姿が垣間見える1曲だ。
まるで新章のスタートかのような、それほどまでに既存のYAMATO像を刷新するこの“Shining”。なぜそんな曲が生まれたかと言えば、そこには彼のルーツが深く関与しているという。それを紐解くためにも、今回はYAMATOにDJの起源から聞いてみた。
――ダンスミュージックに目覚めたきっかけは?
たしか7年前ぐらい、2010年ごろですね。大学のときにストリートダンスをやっていて。大きな括りで言えば、そこでの音楽もダンスミュージックなんですが、僕の中ではちょっと違うんですよね。
――そこからなぜDJに?
クラブで行われるダンスのイベントでは合間にDJタイムがあるんですけど、そこでフロアからDJブースを見たときに気になったんですよね。そして、初めてDJ機材を触らせてもらって。それがきっかけで興味を持ちました。実は、小さいころから電化製品、なかでも音や映像が出るものが大好きだったんですよ。当時は毎週のように電気屋さんに行って、パンフレットを片っ端からもらってきては読み漁ってましたね。
——根底には機材への興味があったと。
数学、化学が好きで、大学も理系の学部に行っていてたんですよ。将来は“音”と“ものづくり”両方の仕事ができる会社で開発の仕事がしたいと思っていました。
——一説ではパイオニアでCDJ-2000NXSの開発をしていたと言う噂がありますが、それは本当?
今まで自分から言ったことはないんですが……実は大学卒業後パイオニアに就職して、DJ機材の開発・設計部署に配属され、エンジニアとしてCDJやコントローラなどの開発・仕様検討・プログラミングをしていたんです。最初は、自分が開発を担当した機種を世界中のDJたちが使用していることに感動していましたが、DJを見に行くたびにいつしか開発したものを自分でも使いこなしたいと思ってDJを始めました。自分で作った機材で舞台に立つ、アイアンマンのような感覚でしたね(笑)
——そこからDJ一本に絞ったきっかけは?
やっぱり『burn WORLD DJ CONTEST 2013 JAPAN』だと思います。優勝してイビサに行って。そこで変わりましたね。キャリアが短いながらも優勝できたことは自信に繋がったし、DJに向いているのかなと思えたし。
——『burn WORLD DJ CONTEST 2013 JAPAN』は世界18カ国の優勝者が集まっていたわけですよね。
みんな何かしら長所がある人ばかりでしたね。制作に強い人やDJが得意な人など。ただ、自分で言うのもなんですが、僕のテクニックは初日から参加者やスタッフに『どうなってるんだ、あれ?』と言われて。僕がプレイするときにはみんなムービーを撮影していました(笑)。そこでも僕のテクニックは誰にも負けてなかったという自信にもつながりました。
——やはりテクニックには絶対的な自信があるんですね。それは、CDJの開発に関わったことも大きい?
もちろんそれはあると思います。自分が考えた仕様から仲間と考えた仕様、自分が開発を担当した機能もあるので。とはいえ、猛練習しましたけどね。バトルDJ時代、大会前は仕事の休みは全て練習。夜も体力の限界まで練習して寝るって感じで。当時、CDJのルーティーン動画はそこまでなかったので、自分がパイオニアになるつもりで練習していました。僕は他の人と同じことはやりたくない。それだけに、開発仲間やDJ仲間などのプレイでも気になるところがあればすぐに聞いて、そこで得た知識を自分のテクニックと掛け合わせる。そうやって誰もやっていない新しいルーティーンを考えてました。
——話は戻りますが、イビサで得たものは自信以外に何かありました?
確実にわかったのは、作曲が必要だということ。僕はそもそもジェームス・ザビエラやカール・コックスといった、制作よりもDJとして活躍していた人に憧れてDJを始めたので、正直楽曲制作はあまり必要ないくらいの感覚で思っていたんですよ。それがイビサに行って覆されたというか、意識が変わりました。
——イビサではアヴィーチーとも出会い、その後共演しましたね。
ものすごく嬉しかったですけど、逆にまだまだだなとも思い知らされました。日本人の中では目立ったかもしれないけど、世界的に見たら共演している人もたくさんいるし、そうでもないことかもしれない。だからそこに甘えず、次の目標ができたなって感じです。
——イビサから帰ってきて何か変わりました?
意識自体は変わりませんね。大会で優勝することも、イビサに行くことも目標ではなく、あくまで通過点だと心の中で思っていたので。僕にとっては本当にまだ始まったばかりという感じでした。
——DJとしてはその後もフェスやパーティに数多く出演していますが、楽曲制作の方も並行して進められていますね。
最初は漠然としていましたけど、今は自分のバックボーンを取り入れていきたいと思ってます。僕が最も音楽を聴いていた時期、それはダンスをやっていたころなんですが、当時聴いていた曲が僕にとってのバックボーン。そのあたりを取り入れていこうと思っていて。
——新曲“Shining”がこれまでと全然テイストが違うと思ったら、それが理由だったんですね。
以前は過去の自分をあまり出さないようにしていて。さらには、DJとして使える曲というのが根底にあって。ただ、それだけやってると音楽が絞られてきちゃうんですよね。もちろん今後もDJとして使える曲も作っていきますけど、今は以前に比べて幅が広がりました。そこは以前とは大きく変わりましたね。
——それは新生YAMATO?
過去のバックボーンが入った、“これが本当の僕です”といった感じです。今までは流行というか、他のアーティストっぽい部分があったんですけど、今はそういった感覚もなくなって。今回は好きに、素直に作れた曲で、自分の体が思わず踊り出すような感じになっています。
——この曲はYAMATOさんのセットには入れづらい……と思ったんですが。
そこは僕のDJを聴いてもらってのお楽しみですね。リミックスを作ったりする可能性もありますし。ただ、オリジナルはフェスでかけるというより、クラブで、特にラウンジとかでミラーボールの下でかけるイメージですね。
——ここ最近はDJたちのセットもだいぶ変わってきましたよね。EDMのDJたちもヒップホップを取り入れたり。
以前はなかったですよね。でも、僕はその流れは好きですね。自分はよくも悪くも流行に感化されやすい部分があって、そういったトレンドに乗ることもありますが、あくまで自分らしく。他のDJとは違った繋ぎ方やスキル、気付く人は気付くというような細部にまでこだわっていきたいですね。
——YouTubeで配信しているスキルフルなパフォーマンス動画は世界中で高い評価を受けていますが、YAMATOさんのDJプレイにおけるルーツは?
昔からジェームス・ザビエラを尊敬しているんですけど、そこにルーツがあると思います。基本的に、一度見てどんなプレイをしているかわかってしまうDJではなく、何をしているのかわからない、そんなプレイに憧れているというか。僕もそう思われるようなアーティストになりたいですね。
——どうやったらYAMATOさんのようになれますか?
まずは機材を買って揃えること(笑)。ただDJになろうって言ってるだけじゃダメなんで。あとはひたすら練習です。それ以外は……アヴィーチーも言っていましたが、DJとして成功するなら人脈を作ることも重要ですね。僕も先輩方や後輩や仲間がいなかったら今の自分はいなかったと思いますし。練習も、それこそ昔は肩を脱臼するぐらいまでやってましたね。あとは拳から血が出たり(笑)。ルーティーンの最中に機材にぶつけたりするんで。
——最後に今の目標は?
DJとしては世界一を目指してますけど、作曲もまずは自分の頭の中で描いていることを全部再現できるようになりたいですね。そして、結果を残したい。現状に満足してはいけないし、目標はまだまだ先にあるので。