池貝峻(vo)、篠田ミル(Sampling)、杉本亘(Syn)の3人に加え山田健人(VJ)、大井一彌(ds)からなるyahyel(ヤイエル)。彼らはインターネットという文明の利器を介して地球上をさもフラットに繋いでいく……かと思いきやそうでもない。むしろそれは当たり前のツールであり、空気も同然。それ以上に“リアル”への渇望……言い換えれば現実(世界)と自らの距離感をネットがあるからこそわきまえ、強く意識しているようだ。
今、新たな世代のキーパーソンとして耳目を集める彼らこそ、まさにその証左と言える存在だった。

幼少時をアメリカで過ごした篠田と杉本。そして、高校生にして1年間渡米し、大学時にはスウェーデンへと足を運んだ池貝。彼はなぜ海外へと渡ったのか。池貝のバックボーンを探るべく、彼に幼き日の思い出を聞いてみるとこんな回答が返ってきた。

——渡米中はどんなところにいたの?
「小さいころからひとりで遊んでいて。結構ヤバいんですけど、家にあるミニカーを永遠に並べ続けるみたいな……そんな幼少期でした」(池貝峻)

子どものころの態勢がその後の人生に影響を与える、それは人間誰しもが思うところだが、彼はそうではなかった。なぜなら、それを覆すようなカタルシスがこの後の彼に訪れたから。ひとりに慣れ親しんでいた孤独な少年に起きたパラダイムシフト、それが前述の海外経験なのだが……。yahyelの中軸、池貝峻の生き方を決定付けることになったその衝撃……彼らの思考を紐解く前に、話はまずそこから。

池貝峻(以下、池貝) すごく特殊な環境にいたんですよ。モンタナ州のポルソンという、アメリカでも田舎のネイティブアメリカンの居住区に。多分向こうの人に話してもわからないような場所で、絶対にアウトサイダーがいないようなコミュニティにたまたま留学生として行っていて。(そこは)すごくゲットーで、みんな悪くて、人が簡単に死ぬような場所で……。

——近所で毎日銃声が聞こえるような?

池貝 それもあったし、高校の中に人種間の抗争があったり。僕がいた地域は白人かネイティブアメリカンしかいなかったんですけど、その争いがあって。そもそもそれ以外の人種がいること自体不思議な環境で、かなり厳しい世界でした。

——自分はそのどちらにも属さないわけだけど、そこにいて何を感じた?

池貝 すごく楽しかったんですよ。なぜなら、日本ではそんなことあり得ないから。(日本は)“こうでなければならない”という同調圧力が強い、学校のような閉鎖されたコミュニティでは特に。僕はそこに違和感を持っていて、うまく適応できなかったんです。でも、自分が自分のままでいていいんだって初めて思った場所がポルソンで。
そこでは自分がどうアイデンティティを選択していくかが重要というか、彼らはそこに対する意識がすごく強く、自ら主張することが自然。しかも、文化が潰えていく環境に抗いながら。そこで僕は自分のアイデンティティというものを初めて外側から見ることができ、さらにはそれが国籍や見た目で他人から付与されるものではないということを改めて考えさせられたんです。初めて自分がこのままでいいんだって思えたし、今考えるとそれが僕の原体験としてすごく重要だった。

<次ページ> 反目を繰り返しながらもyahyelが見据える目の前の“世界”

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『Flesh and Blood』

Beat Records

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