もうすぐ東日本大震災から4年の月日が経とうとしてます。
編集部内で僕たちが話したのは「自分たちの被災地に対する関心が確実に薄れている」ということでした。

調べてみると、これだけの時間が経過した今でも、仮設住宅での生活を余儀なくされている人は約8万人、震災前に住んでいたところから避難して生活をしている人が約23万人もいるそうです。(2015年2月復興庁調べ)
さらに朝日新聞社が実施した全国世論調査によると、2015年1月末の段階で、福島第一原発事故について「関心が薄れ、風化しつつある」と答えた人の数は全体の73%でした。
また、この質問は過去3年に渡って行なわれてきましたが、「関心が薄れ、風化しつつある」と答えた人の数は66%→69%→73%と年々増える一方でした。
どんどん、どんどん忘れてしまっているのです。日常を取り戻し普通の生活を過ごしていくなかで、自分も含め多くの人にとって“あの出来事が記憶の中で風化している”ということに気付かされました。
だからこそ3月11日を前に、いま一度『あの震災』を振り返り、被災地のこと、そして不安と悲しみに暮れた日本が、世界中から励まされ、助けられた、あの時の想いを読者の皆さんと一緒に改めて思い出したいと思い、本特集を制作しました。

本稿では、2011年3月に当編集部発行・Club Wallpaperで特集した記事を元に、震災直後に世界中のアーティストが行なった数々のチャリティ・プロジェクトを改めて紹介すると共に、
記事の後半では、いま僕たちが被災地に対して、ひいては自分自身に対して出来ることをまとめてみました。


<目次>
1)未来への希望を乗せて、世界から届いたダンスミュージック
2)震災直後のダンスミュージック・シーンに光を放ったふたつのパーティ
3)震災を忘れないために、継続的に関われる復興支援プロジェクト


未来への希望を乗せて、世界から届いたダンスミュージック

1|BPM JAPAN

bpmjapan

2011年3月11日に突如訪れたその震災は、日本の歴史上かつてないほどの猛威を振るった。
被災地を中心に続いていた余震、深刻な状況になった原発。そして錯乱する情報。
目に見えない恐怖に怯え、不安で押しつぶされそうな状況のなか、自分たちに出来ることで1人でも多くの人に笑顔を取り戻してほしいという気持ちから発足したプロジェクト:Be Positive by Music Japan(BPM JAPAN)。
言葉の壁を持たないダンスミュージック。目に見えない『音楽の力』に想いを託して、世界各国で60組以上のアーティストが賛同し楽曲を提供。少年の顔に赤い日の丸をあしらったジャケットのデザインは、あの大友克洋氏が担当。
これらの作品はデジタル・ダウンロードサイト:beatportで販売され、売上げの全てが日本赤十字社を通して震災の被災者への義援金として寄付された。

2|Jeff Mills “Phoenix (the Rising)”

当時、被災地の復興に奮闘していた日本。テクノ界の重鎮:ジェフ・ミルズは、その姿を不死鳥に喩えて、再建の願いを込めた新曲“Phoenix(the Rising)”をフリー・ダウンロードで発表した。
そこには「いま自分ができることは、自分の気持ちを音楽に託して、みんなに伝えること」というメッセージを添え、太陽が登り光が指す映像と共に発信。音楽を通して、日本に希望を与えてくれた。

3|Joris Voorn “Incident (miyagi)”

オランダのトップ・テクノDJ:ヨリス・ボーンは、テクノ史にその名を刻む名曲“Incident”のリミックス“Incident (miyagi)”を制作し、その収益のすべてを寄付した。03年にオリジナル曲が発表されたときも、その名の通り事件(Incident)だったが、未曾有の規模となった震災の復旧に想いを乗せアンセムが息吹を返した。

4|NIHON KIZUNA

nihon-kizuna

http://nihonkizuna.bandcamp.com

世界各国のアーティストが無償で楽曲を提供し、震災復興への募金を目的としたコンピレーション「NIHON KIZUNA」。コード9やブロークン・ヘイズ、エミカなど、UKベース・ミュージック系のアーティストを中心に、日本の復興を想い50曲もの楽曲が集まった。
コード9の“Samurai”を始め、“Move Forward(前に進もう)”や“We Are Possible(私たちは成し遂げる)”といった前向きなメッセージが込められているのがタイトルからも伺える。

5|Turbo for Japan

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00年代初頭のエレクトロクラッシュ・ムーブメントを牽引したシーンの革命児ティガも、主宰レーベル:Turbo Recordingsを通してチャリティ・プロジェクトを展開。震災から約1ヶ月半の期間、レーベルの楽曲が購入できるダウンロード・サイトSubscriptionの収益の全てをJapan Earthquake and Tunami Relief Fundを通じて寄付した。

6|Warp Recordings Japan Tsunami Fundraising Warp T-Shirt

warp-tshirts

エイフェックス・ツインやスクエア・プシャッシャー、オウテカといった奇才に加え、!!!やハドソン・モホークなどが所属する先鋭レーベル:Warpがチャリティを目的としたTシャツを制作。その売上げをすべて寄付し、UKから日本をバックアップした。


震災直後のクラブ・シーンに光を放ったふたつのパーティ

1|相次ぐ来日キャンセルの中、MINUSクルーが届けたKANPA+I(愛)
M_NUS HEARTS JAPAN @WOMB

MINUS HEARTS JAPAN

震災後の数ヶ月、余震が続く状況と原発事故による放射能への恐れから、多くの外国人が日本への渡航を拒んでいた。その状況は、ダンスミュージック・シーンにも大きなダメージを与えた。
海外アーティストの来日公演は、ほとんどがキャンセルとなり、ただでさえ自粛ムードが漂っていたクラブから、さらに人を遠ざける結果となった。それは日本のクラブシーンの壊滅を予感させるほど悲惨な状況だった。

そんな中、テクノシーンのカリスマ:リッチー・ホウティンが動き出した。自身のレーベルMINUSのアーティストと共に緊急来日し、『MINUS HEARTS JAPAN』というイベントをWOMBと共催した。
リッチー・ホウティンを筆頭に、トロイ・ピアーズ、マーク・ホール、アンビヴァレント、ホボの5名が参加。来日した MINUSのアーティストたちは、渡航費、宿泊費の一部を自身で負担し、さらにその出演料はWOMBと協議の上、東北の日本酒を購入しお客さんに振る舞うことに充てられた。
開催当日、各所で漂っていた自粛ムードを打ち破るかのようにして集まった超満員のオーディエンス。彼らの心にその激動の一夜が深く刻まれたのは言うまでもない。
プレイ終了後、感謝の気持ちをリッチーに伝えると、彼は「僕らはまたすぐに帰ってくるよ、すぐにだ」と言った。その瞬間、涙が溢れ出てきた。

MINUS HEARTS JAPAN
MINUS HEARTS JAPAN

2|カール・ハイドが導いてくれた伝説の一夜
SonarSound Tokyo2011 @ageHa

震災の被害は、すぐさま音楽業界にも波及した。大手レコード会社は3月以降のリリースをすべてキャンセルし、フェスティバルのほとんどが開催を自粛。海外アーティストの来日公演も前述の通りキャンセルが相次いだ。
そんな状況下で、国内でもっとも早く開催したフェスティバルが『SonerSound Tokyo2011』だった。

SonarSound Tokyo2011

このフェスでも当然、原発問題を理由にした出演キャンセルもあった。だが、それでもなお参加したアーティストからは、「前を向いていこうぜ!」「皆は一人じゃない」といった想いがプレイやMCからビシバシ伝わってきた。
例えばフライング・ロータスは、ドラゴンボールの悟空のコスプレをして登場し、超前衛的なベース・ミュージックとカメハメ波にその想いを乗せた(今となれば、そこは元気玉だろ!!と突っ込みたいが)。

SonarSound Tokyo2011 FLYING LOTUS

そして極めつけはアンダーワールドのフロントマン:カール・ハイド。震災に立ち向かう日本の力になりたいと本人自らの積極的な申し出により、予定になかったが急遽来日、ダレン・プライズと共にアンダーワールドDJsとして出演。しかも超過密なスケジュールだった為、空港から都内までヘリで移動し、ギグだけをこなして、またヘリでとんぼ返りした。

そのアンダーワールドDJsのギグがいまでも忘れられない。
その頃、クラブで踊ることを手放しで楽しんでいいものか、僕たちオーディエンスには少なからず躊躇があったと思う。
しかしそれを否定するように彼らは、“Rez”や“Cowgirl”といったアンダーワールドのヒット曲を連発、フロアをこれでもかというくらい煽り続けた。
それに呼応して徐々に気持ちが解放され、ひとつになっていくオーディエンス。
ラストには、普及の名作“Born Slippy”を投下。イントロのピアノリフが会場に響くと共に地鳴りのような歓声がおき、言葉では表現しきれないほどの歓喜のダンスフロアとなった。

sonar-3

このとき確信を持って思った。
いまの日本に必要なものは、明日への希望を持ち、みんなが一つになり未来へと向かうことだ。おそらくその場にいた誰もが、「音楽の力」を強烈に感じた一夜だったに違いない。

Photo by Masanori Naruse, Tadamasa Iguchi


ここまでは、震災直後に世界のアーティストたちが日本を想って立ち上がってくれた事例をいくつか紹介してきました。
2014年、震災から4度目の3月11日を迎え、こうして振り返ってみると、今改めて当時の感動が蘇ってきます。同時に、そうした感動や、感謝の気持ちをすっかり忘れて日々を過ごしていたことに気付かされます。
4年前に日本に届いたたくさんの愛情を憶えていることももちろん大事ですが、なにより、こんなに小さな島国のなかで起きた大変な出来事だったのに、日本に住む僕たち自身がその震災のことを、被災地のことを思い出しもせずに生活してきたことに、我が事ながら驚きさえ感じます。

では今、なにが出来るのか

「3月11日が近くなると被災地のことを思い出すけど、慌ただしい日常の中でこの気持ちをいつまで保っていられるだろう…」、そう思う人も少なくないと思います。
忙しい日々にあっては、被災地への気持ちを思い出すことが難しくなってしまうのも無理もないのではないでしょうか。
忘れてしまうのは仕方ない、でも憶えていたい。
ならば、一年に一度ではなく、もっと細かいスパンで定期的に思い出すきっかけがあればいい。
しかもそのきっかけ自体を復興支援に役立てられれば!
そんなわけで本項では、今も続く数ある復興支援プロジェクトの中から、自分たちが被災地への関心を維持出来るよう、長期的、継続的に関われるものたちを選りすぐって紹介します。

忘れないように継続的に関われる復興支援プロジェクト

1|津波の到達地点に植樹、桜が後世に語り継ぐ
桜Line 3.11 マンスリーサポーター

www.sakura-line311.org
桜Line3.11

陸前高田市の津波到達点上に桜を植樹することで、津波の恐ろしさを、ひいては、東日本大震災時と同規模の津波が次にやって来たときにどのエリアまでが危険なのかを、後世に伝えるプロジェクト。
これまでにのべ2千人以上のボランティアとともに767本の桜を植樹。
同プロジェクトでは、毎月定額で活動資金を寄付するマンスリーサポーターを募集中。
<マンスリーサポーター募集ページ>
www.sakura-line311.org/supporter

2|津波で学ぶ場を失った子供達の“放課後学校”を継続的に支援
コラボ・スクール

www.collabo-school.net
311-4

地震による被害が最も激しかった地域の1つである宮城県女川町と岩手県大槌町にある“放課後の学校”。仮設住宅で暮らし、放課後に勉強する場所がない子どもたちに環境を提供している。
そして、勉強するだけが学校じゃない。この学校は学習指導の場としてだけでなく、友達と安心して交流できる居場所としても活用され、子どもたちが未来の復興の担い手として成長するための根本的な支援が続けられている。
そんなプロジェクトが、毎月の継続寄付で支援するサポーターを募集中。
www.collabo-school.net/donate/continue/

3|あの時の赤ちゃんが大人になるまで被災地を見守りたい
ハタチ基金

www.hatachikikin.com
ハタチ基金

被災地の子どもたちの心のケア、学びや自立の機会を継続的に提供するための“期限付き”の基金。期限は、震災時に0歳だった赤ちゃんが成人する2031年まで。月額1,000円から毎月継続的に寄付が出来る。
今からスタートしても最後まで続ければ16年。そんなにも長い間、自分の寄付金が遠くに住む子供の成長に寄り添い、役立てられたなら、きっと感慨もひとしおだろう。なにより、16年先まで震災への関心を保つことが出来る。
ちなみに、もし16年はちょっと重たいな…と思ったら、途中での退会や金額変更も可能。

4|自分の特技を被災地で役立てることが出来るかも!
イノベーション東北

www.innovationtohoku.com
イノベーション東北

こちらは「ウデに覚えあり!」というクリエイターや専門職向け。
震災を機に新しい挑戦に取り組もうとしている東北各地の事業者と、それをサポートしたい人たちをつなぐクラウドマッチングプラットフォーム。
「こんな手助けが欲しい」という事業者の様々な声と「自分のこんな技術を役立てたい」というサポーターの声をマッチング。
事業者の要望は例えば、「新商品のラベルのデザインをして!」「商品名を考えて!」といったものから「名物のだるまを使ったイベントを企画して!」というものまで様々。特技を活かして地域活性に深く長く携われる。

5|企業への投資を通じて長期的に関わり、見届ける
セキュリテ被災地応援ファンド

www.oen.securite.jp
セキュリテ被災地応援ファンド

被災から立ち上がろうと努力する事業者と、それを応援したい個人を繋ぎ、資金を集めるマイクロ投資プラットホーム。
小規模だが一応「投資家」として、復興へ向け奮起する企業を見つめていくことで、思い入れとともに被災地への関心を持ち続けることが出来るの。
企業から投資家へ贈られる特典もある。

6|これからは捨てずに活用!読み終わった本で出来る寄付
BOOKS FOR JAPAN

www.booksforjapan.jp
BOOKS FOR JAPAN

趣味は読書という方にはコレ。読み終わった本を同プロジェクトへ送ると、その買取金額を被災地や復興支援団体へ寄付するか、本そのものを被災地へ届けるかが選択出来る。
募金となると腰が重くても、読んだ本が貯まった時、古本屋さんではなくこちらを選べば今後も定期的に被災地に思いを馳せることが出来そう。
5冊以上本が貯まったらダンボールに詰めて宅急便で送るだけ。
DVDやゲームでもOK。

7|まだまだあるぞ!ボランティア活動
ボランティアインフォ

http://volunteerinfo.jp/info/
ボランティアインフォ

震災から4年が経って、なんとなく「もうやってないんじゃないか?」と思ってしまいがちなボランティア活動。実は全然そんなことはない。人手を必要としているところはまだまだたくさんあるぞ!
例えば週末を使って土曜日はボランティア、日曜日はちょっと観光、なんていうスタイルもアリなのでは? ただ、少しでも危険を伴う作業に従事する場合はボランティア保険への加入をお忘れなく!


というわけで本稿では、被災地への関心を持続させることを念頭に、長期的、継続的に関われる復興支援プロジェクトをいくつか紹介してきました。

3月11日を迎え、多くのメディアが東日本大震災を取り上げ、また多くの人が語り合うでしょう。
3月11日という日は、震災に、被災地に、想いを馳せる日でもあるべきですが、やがて5年目6年目と数えていくなかで、一度視線を自分たちに向け、「被災地のこと、忘れてないかな?」と自問してみる日としてもあるべきだと感じています。

あらためて、東日本大震災によりお亡くなりになられました方々のご冥福をお祈りすると共に、一日も早い被災地の完全な復興と、より元気で魅力的な生活がそこで送られる日が来ることを、心よりお祈り申し上げます。