欧州で再評価の兆しを見せるジューク・フットワーク。その新たな旗手として世界から注目を集めるOyubiへのインタビュー。#1ではジューク・フットワークへと行き着いた経緯を伺ったが、今回は2017年のデビュー以降の活動をプレイバック。

テン年代、一度は大きな盛り上がりを見せたものの年々退潮傾向にあったジューク。日本でもアンダーグラウンドの極地へと追いやられ、一時は満足にDJをする場所もないような状況に。しかし、そうした中でも強固なコミュニティが構築され、日本独自のシーンを形成。そして今、Oyubiとともに新たなステージへ……。

そんな日本のジュークシーンの歩み、さらにはその中でいかにしてキャリアを築いてきたのか。今回も彼と昵懇の仲であるTREKKIE TRAXのSeimeiを交え振り返りつつ、そもそもOyubiの運命を変えたジュークとはなんなのか。言葉にするのが非常に難しいこの音楽の魅力を大いに語ってもらおうと思ったのだが……。

啐啄同時、転機となったv.o.cとの出会い

――EDM〜ドラムンベース・ジャングルを経由してジューク・フットワークへと辿り着いたわけですが(詳しくは#1参照)、DJを始めたきっかけは?

Oyubi:最初はBoiler Room(のYouTube)とかでDJ SpinnDJ Rashadがボタンをバシバシ叩きながらラフにDJしているのを見て「ジュークのDJってこんな感じでいいんだ」みたいな(笑)。それこそハウスやテクノだとこうもいかないなと思って、当時はなんの考えもなしにジューク・フットワークのDJをしてました。今思えばDJがやりたかったというより、ジューク・フットワークがかけてみたかったっていうのが初期衝動だった気がします。

――その頃ジューク・フットワークでDJをする場所ありました?

Oyubi:全くなかったですね。ただ、『v.o.c』っていうクルーがあって、当時はTwitterでタグをつければ誰でもクルーになれるみたいな感じでメンバーを集めていたんですよ。

Seimeiv.o.cはオンライン上のジューク好きサークルみたいな感じですね。

Oyubi:そうです。そこでいろんな人とコミュニケーションして、v.o.cのパーティに遊びに行ったりしてて。そのときに「DJやってみてよ」って言われてしばらくはv.o.cのパーティでDJして、気づいたら他のパーティにもブッキングしてもらえるようになってた感じです。

Seimei:ジャパニーズジュークシーンの中ではv.o.cがコミュニティの一番コアな部分を支えているというか、そこがある意味ジュークの敷居を下げて、広げてくれているからこそ新しいファンベースができた感じなんですよ。だからみんなv.o.cのことはリスペクトしているし、彼らは彼らで作品を出して、今もパーティをやっていたり、精力的に草の根活動をしていますね。

――その頃ジューク好きは周りにいました?

Oyubi:全然いなかったです(苦笑)。

Seimei:ジューク好きってコミュニティが小さい分、結束が強くて、みんなで曲を交換してお互い(DJで)かけあうことが多いんですよね。僕はOyubiくんのことをTwitter(現X)で知ったんですけど、当時(TREKKIE TRAXの)andrewOyubiくんの曲をかけてて。それはフランスのインディレーベルから出ている曲で、「水曜どうでしょう」で流れていたベトナム人の歌をサンプリングして4つ打ちに乗せただけの“Vietnam Ho Chi Minh”って曲なんですけど、すごく印象的だったのを覚えてます。

Oyubi:それは初期の頃の曲ですね。20歳ぐらいから曲を作り始めたんですけど、最初はサンプリングして、キックを並べて、BPM160にしただけみたいな感じで。

Seimei:しかもAbleton Liveの体験版で作ってて、それが海外のレーベルからリリースされていたので周りでは「すげえヤツが出てきたな!」みたいな感じでした。

――そのときはフランスのレーベルから直接声がかかったんですか?

Oyubi:ネットに乗せていたら連絡があったんです。

自ら魔法使いに光芒一閃、DJと並行して楽曲制作開始

――中高生の頃は楽曲制作=魔法みたいな感じで楽曲制作に興味がないようでしたが(#1参照)、なぜ曲を作り始めることに?

OyubiDJを始めてから作りたくなりましたね。最初にジュークの曲ができたときはめちゃくちゃ感動して「めっちゃ楽しい!」と思ったし、とにかくジュークが作れたことに感動していろいろ作りたくなった感じです。

――楽曲制作はどうやって学んだんですか?

Oyubi:完全に独学です。最初はフットワークのバトル用トラックを作っていたんですよ、いろんなリズムの。あとは曲というよりDJツールを作っているような感じでした。

――4つ打ちではなく、いきなり変則的なジューク・フットワークを作るのはなかなか……

Seimei:そこはダブステップ以降の感覚なのかもしれないですね。いろいろな音楽が身近にあったから。

Oyubi:そうかもしれないですね。あとはゲットーテックとかも好きで、DJを始めた頃はシカゴの音楽をめちゃくちゃ掘り返していたんですけど、シカゴの人たちってパッドで音楽を作っていて。それで音楽ができるっていうのも面白くて。自分の中では音ゲーと繋がった感じがしたんですよね。

――フィジカルな感覚なんですかね。

Oyubi:そうですね。それで自分でもできそうだなって思いました。

言葉にできない挟山超海なジュークの魅力

――ジュークのDJをやることに不安はなかったんですか?

Oyubi:当時はDJができればよかったんですよ。ただ、同世代のDJが周りにいなかったので寂しくはありました。なので、いろいろなパーティに遊びに行って、友達を増やしていって。

Seimei:日本のジュークは、今も第一線でやられているD.J.Fulltonoさんや食品まつりa.k.a foodmanさんとかがシーンを築いてきて、Oyubiくんはそのシーンのピークが過ぎたあたりで突如現れた感じなんですよね。

――4つ打ちでDJをする気はないんですか?

Oyubi:やりたいし、やるんですけど、完全な4つ打ちにアレルギーがあるというか……。(4つ打ちで)DJしていると途中で崩したくなるんですよね(笑)。4つ打ちよりもどうにでも取れるリズムが好きなので。

――そもそもジュークでDJするのは難しくないんですか?

Oyubi:大変ですけど、どこにでもいけるような感覚があります。途中で4つ打ちをぶちこんでもいいし、ハーフでゆっくりにしてもいいし。そういう柔軟性があるのでやりやすいです。あとは、お客さんを見ながら波を意識していて、それが自分のDJの醍醐味だと思ってます。

――ジュークって言葉で伝えるのが難しいジャンルだと思うんですが、自分がやっている音楽を人に説明するとしたらどう伝えますか?

Oyubi:それがめっちゃ難しいんですよね……。年々難しくなっているような気がしていて、だいたいは「早いのをやってます」って言ってます(笑)。

Seimei:個人的には大きい枠ではベースミュージックの括りだと思うんですけどね。

Oyubi:大きい枠ではそうかもしれないですね。ベースミュージック、あるいは“Club”。ジャージークラブとかの“Club”

Seimei:要はアメリカの黒人コミュニティの音楽、そこで生まれた音楽って意味ですね。

楽曲制作は咄咄怪事、「谷の底の暗いところをどうにか

――今、一番好きなアーティストは?

Oyubi:今はDJ SWISHAKush Jonesですね。

――見てみたいアーティストはいますか?

OyubiAphex Twinとか見てみたいですね。憧れのひとりでもありますし。あとはSquarepusherとか。YouTubeとかで最近の人たちの動向はだいたいかわかるので、そうではない(ネットでは見られない)ショー的なものが見てみたいです。

――自分でライブはしないんですか?

Oyubi:しないですね。技術的な問題もあるし、ライブに対してのアイデアがあまりなくて。それに今はDJの方が面白いので。

――Oyubiくんの音楽は再現性のない音楽のようにも感じますが。

Oyubi:それは確かにあって、今まで作った曲も「どうやって作ったんだろう?」って思うものが結構あります(笑)。

――偶然できあがることが多い?

Oyubi:最初に「これを作りたい!」と思っていても180°違うものができあがることがあって。もちろんある程度完成を想像して作るんですけど、結果的に違うものができあがることが多いです。1曲を作る上でその裏にはたくさんのルーツがあって、その中から取捨選択して仕上げているみたいな感じです。

――まるでJackson Pollockとかの抽象絵画のようですね。

Oyubi:そんな感じかもしれないです。思うに僕はいろんなものの狭間にいるような気がしているんですよ、ジャンルとか音感とか。作る曲もそうなんですけど、とにかく説明しづらい。谷の底の暗いところをどうにか表現してるっていうか、うまく言葉にできないんですよね(苦笑)。

――言葉にすると間違って解釈されてしまったりも?

Oyubi:そうですね。だから観客に委ねたい気持ちがあります。僕がいろいろやって相手がどう思うかを逆にこっちが見てるみたいな。

#3に続く…

photo by Utae

Oyubi

ジャズ〜EDM〜ダブステップ〜ドラムンベース・ジャングルを経由しゲットーテック〜ジューク・フットワークの世界へ。ダンサーとしても活動した後、2017年にDJ・プロデューサーとしてのアーティスト活動開始し、早々に国内外のレーベルから楽曲をリリース。近年、欧米を中心に高まるジューク・フットワーク再評価の波を受け海外で大きな注目集め、ヨーロッパ〜アジアまで各国でプレイ。グローバルに展開すると同時に地元・東京ローカルでの活動も重視し精力的に活動。現在はTREKKIE TRAXをはじめ様々なレーベルからリリースを重ね、さらには盟友FetusとともにレーベルTuringを主宰している。

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