米シカゴ発のダンスミュージック“ジューク・フットワーク”。今、日本でこの音楽を知っている人はいかほどか……。それこそテン年代、DJ RashadやKode9らの台頭で注目を集め、専門メディアでも数多く取り上げられたものの日々進化するシーンの中でそれはいつしか下火に。しかし、その系譜は脈々と受け継がれ、今、新たな形となって開花する!
昨今、世界でテクノ回帰の流れがある中、その極北でこのプリミティブでフィジカルなサウンドが拡散と収斂の果てに深化。加えて、コロナ禍の反動で大きなうねりを見せるレイヴ嗜好も後押ししジュークが欧米で再評価。そして、その新たな時代の旗手と目されている1人がOyubiだ。
日本のジュークシーンではすでにその名は知れたもの。2017年の活動開始から“逸材”として界隈で名を馳せていた彼がいよいよ飛躍の時を迎えている。今春にはオランダ・アムステルダムで開催されているダンスミュージックフェス「Lentekabinet Festival」に招聘され、ヨーロッパツアーも完遂。かたやアジアからは絶えず熱烈なオファーが届くなどグローバルな支持を得ているのだ。
今回はそんな新世代ジュークの急先鋒Oyubiに独占インタビュー! しかも、彼の作品を多数リリースしているTREKKIE TRAXから彼と懇意でシーンにも精通しているSeimeiをアドバイザーに迎え、Oyubiの素性、そして深淵なるジューク・フットワークの世界を紐解いていきたい。
まず#1ではOyubiというアーティストの誕生までをフィーチャー。彼はなぜジュークの道へと進んだのか。なぜハウス・テクノではなかったのか。その答えは意外にも……。
◆白駒過隙の欧州ツアー…仏リールで掴んだ愉悦
――少し前にヨーロッパツアーに行かれていたんですよね。
Oyubi:初めてのヨーロッパツアーだったんですけど、今回は「Lentekabinet Festival」から突然オファーがきて。最初は何かの間違いかなと思ったんですけど本当で(笑)。それで知り合いのエージェントに交渉をお願いして、せっかくなので向こうでいいパーティがあったらDJしたいなと思って、それもお願いしたら3つの都市(イギリス・ロンドン、ドイツ・ベルリン、フランス・リール)のパーティにブッキングしてくれて。
――ヨーロッパのお客さんはどうでした?
Oyubi:やっぱり日本とは違いましたね。ベースとして向こうは“音が出たらまず踊る”みたいな雰囲気がありました。あとは、その人(DJ)なりの音を求めている気がします。それが掴めたのが最後のリールだったんですけど、2時間ほぼ自分の曲でDJしたらとんでもなく盛り上がって。「(自分の曲が)フランスでウケるんだ!」って知りました(笑)。

◆オタクが雲外蒼天の末にジュークの道へ…
――今回はまだまだ謎に包まれているOyubiくんを深掘りしていきたいと思っているんですが、まずは基本的なところから。今は何歳ですか?
Oyubi:26歳です。
――もともとはジューク・フットワークのダンサーだったと聞いていますが、ダンサーのあとDJに?
Oyubi:DJを始めるきっかけがジュークとフットワークで、最初は遊びに行く側だったんですよ。それで遊びに行くとそこにはダンサーがいて、そこでお酒を飲みながら一緒に踊ってたって感じで……。
――でも大会に出たこともあるとか?
Oyubi:フットワーク(のダンス)ってバトル文化みたいなところがありまして。どこに行っても「(バトル)やるっしょ!」みたいなノリで、その延長で大会にも出た感じです。
――そもそもなぜジュークやフットワークに? どんな経路で行き着いたんですか?
Oyubi:ジュークの前はドラムンベースやジャングルを聴いたり、その前はEDMですね。Skrillexをよく聴いてました。
――それはいつ頃?
Oyubi:中学生ぐらいです。
――学校で流行っていた?
Oyubi:全然流行ってなかったです。周りは普通にJポップでした。
――それでなぜEDMに?
Oyubi:僕はパソコンが大好きで、いわゆる“オタク”だったんですよ。YouTubeとかニコニコ動画を見て、ボカロとか聴いて。そうするとEDM的なものがよく流れてきて、それで好きになって。昔はパソコン・インターネット好きの、いわゆる“オタク”だったんですよ。
――でもボカロにはいかなかったんですね。当時はかなり流行っていたと思うのですが。
Oyubi:当時、ボカロ曲を作る人の印象が“とんでもない魔法を使って曲を作る人”みたいな感じで。僕には絶対にできないなと思って、ボカロのプレイヤー側になろうとは思わなかったんです。あとは音ゲーが好きだったっていうのもあります。
――それはbeatmaniaとか?
Oyubi:そうですね。“Oyubi”っていうアーティスト名も「jubeat」(KONAMIサウンドシミュレーションゲーム)のプレイヤーだったときのハンドル名なんです。

◆紆余曲折のもと原点回帰、少年時代のジャズが…
――EDMの前は何を聴いてました?
Oyubi:小学校の頃は親がジャズ好きで、休日は家でジャズがよくかかってました。
――ジャズというのはMiles DavisとかJohn Coltraneとか?
Oyubi:そうですね。でも、当時の僕は全然(ジャズが)好きになれなくて(苦笑)。
――ジャズからEDM、そこからジュークに?
Oyubi:Skrillexを聴いていたときに「ドラムンベースいいな」、「BPMが早い音楽いいな」と思って、アメリカのドラムンベースやEDMのアーティストが作ったドラムンベースっぽいのを聴き始めたんですよ。あとはダブステップも好きで、当時はとりあえずワブルベース、強いベースの曲は全部ダブステップだと思って聴いてました。あんまりジャンルがよくわからなかったので(笑)。
――ダブステップも経由しているんですね。
Oyubi:はい。あとはNINJA TUNESのMachinedrumが好きでした。ジャングルとかいろいろ雑多な感じがツボだったんです。それとTraxman。特にアルバム「Da Mind Of Traxman」は衝撃的で、エレクトロミュージックの中に“ジャズ”が聴こえてくるみたいな。
――小学生時代に聴いていたジャズがここでリンクする?
Oyubi:そうですね。エモさを感じましたし、あとはめちゃくちゃ新しい感じがして、すごくパーティな感じがするのも楽しかったんですよね。それが高校2〜3年ぐらいで。
Seimei:時代的にはKode9とかがダブステップからジュークに移行し始めていた頃ですね。日本でもアンダーグラウンドなクラブでジュークがかかり始めていて。
Oyubi:僕はまだその頃はクラブに遊びに行ってなかったので、めちゃくちゃ行ってみたかったです。
――ジュークというとDJ Rashadが有名ですが、そうなるとそこも通っていない?
Oyubi:僕が遊びに行くようなったときにはすでにDJ Rashadが亡くなって2〜3年経っていて……。正直見てみたかったですね。
――いずれにせよニコ動からジュークにいく流れは聞いたことないコースですね(笑)。
Oyubi:自分でもレアケースだと思います(笑)。
Seimei:今の話を聞いていて思ったんですけど、Skrillexってやっぱすごいですね。ひとりのアーティストのダンスミュージックの入口になって、しかもジュークへの橋渡しをしているって。あとはMachinedrumやTraxmanの流れも面白いし、全然好きじゃなかったジャズ、原体験に戻るっていうのも興味深い。
Oyubi:最終的にジャズが好きになりましたし、今はジャズを聴いていて良かったなって思います。それがあったからいろいろ繋がったというか、たくさんの発見があったし、今でもアイデアの源泉になっていると思います。
◆テクノは清絶高妙!? 敷居が高くジュークに邁進
――ジャズ、EDM、ドラムンベース・ジャングルを経てジュークに行き着いたわけですが、テクノやハウスといった4つ打ちには興味がなかったんですか?
Oyubi:テクノは詳しくないけど好きですよ。Hessle AudioのリリースとかAddison Grooveとかよく聴いていましたし。テクノの中でもダブステップ的なものとか、ベースの要素が強くて反復しているものが好きですね。ただ、当時の自分からしたらテクノって大人すぎて、敷居が高い感じがして……。“(テクノをやるなら)崇高な考えを持ってないといけない!”って勝手に思っていたんですよ(笑)。
――ちなみにJポップとかは聴きます?
Oyubi:全く聴かなかったんですけど、最近は聴いてみようかなっていう気持ちがあります。もう少しいろいろな音楽を聴いてみようと思っています。
#2に続く…

photo by Utae
Oyubi
ジャズ〜EDM〜ダブステップ〜ドラムンベース・ジャングルを経由しゲットーテック〜ジューク・フットワークの世界へ。ダンサーとしても活動した後、2017年にDJ・プロデューサーとしてのアーティスト活動開始し、早々に国内外のレーベルから楽曲をリリース。近年、欧米を中心に高まるジューク・フットワーク再評価の波を受け海外で大きな注目集め、ヨーロッパ〜アジアまで各国でプレイ。グローバルに展開すると同時に地元・東京ローカルでの活動も重視し精力的に活動。現在はTREKKIE TRAXをはじめ様々なレーベルからリリースを重ね、さらには盟友FetusとともにレーベルTuringを主宰している。
