これまで彼のDJは何度も聴いてきたけれど、本当に独創的で掴みどころがないというか、近づけば遠ざかる的な感があって、そこが面白みでもあるわけだけど、今回インタビューをしてみてなんとなく、本人もきっと掴めていないのかなと。

しっかり“自分”を持ちながらもどこかで“神”的なものの介在を願い、その一方でリベラルユートピアを望み、さらには“死”への恐怖からなる様々なものへの畏怖が心を蝕みながらも自分を護るために嘲る。そうしたたくさんのジレンマがありながらそうは見せない……というよりももはやそれがスタンダード!? okadadaが内包するもの、その一部を垣間見ることができたかもしれない今回のインタビューも最終章。

もはやその様はDJにしてフィロソファーokadada。約3時間もの対話の果てに辿り着いた、永遠のテーマとは?

okadadaインタビュー#1

https://floormag.net/okadada2026-01

okadadaインタビュー#2

https://floormag.net/okadada2026-02

◆◆人生は基本退屈…それを払拭するために音楽がある

――音楽以外に何か興味あります?

okadada:映画、本、漫画とかソフト類が多いですね。未知の可能性が高いものが好きですね。でも、それでいったら「滝とかずっと見てたらいいやん!」って自分でも思うんですけど。作品の形になってるものはそういう事を感じやすいからかも。

スポーツも全然見ないんですよ。何度か興味を持とうと思って見たんですけど、肉体の躍動とかにあんまり興味わかなくて。

――スポーツこそわからないものの極致じゃないですか? それにプロセスもしっかりある。

okadada:そうなんですけど、きっと僕に受容体がない。あとは生身であることが怖いのかもしれない。恋愛リアリティショーとかも全然興味ないし、生身の人間がどうこうしてるのが怖いのかもしれないですね。創作物じゃないと。

――フィクショナル人間?

okadada:“フィクション”というフィルターをはさまないと直視できない。人間の感情とかもそうで、目の前にいる人で精一杯(苦笑)。

――それで生きづらさを感じることはないですか?

okadada:全然ないですね。すごく楽しいですよ。っていうかフィクションがあるおかげで感情や他人と良い距離が取れてるとすら思います。

――例えば、映画とかで“超大作”と言われるものに興味あります? 

okadada:(その作品が)気になったら見るし、それは音楽もそうですね。特にポリシーないんで。ヒットしてるものは“ヒットしてる”という情報・付加価値がついているだけ。それ自体は僕にとっては正でも負でもないし、どっちにも転びうる。「流行っているからイヤやな」と思うこともあれば「これ流行ってていいよな」って思うものもある。

――興味があるのは未知のものだけ?

okadada:未知のものを知るって快楽じゃないですか。しかも、それは“退屈な時間”と相関関係で、毎秒未知のものが入ってきたら退屈になっちゃうかもしれないから、要は付き合い方なんですけどね。

それは“死”に置き換えることもできると思うんですけど、死も払拭することはできないから、生きていれば絶対的に付き合っていくしかない。めんどくさい友達みたいな。

例えば、ハウスはダンスミュージックの中で比較的退屈と付き合いやすいと思うんです。退屈を無化するのでもなく、敵対するのでもなく“戯れる”ことで上手に付き合っている。

テクノとかも同じで、メロディーに頼らずに単調さを伴って続いていく。常に何かの途中であることで始まりも終わりもなく、いつでも入っていけるし、出ていくこともできる。それって各々の自由を担保していて、退屈する瞬間も興奮する瞬間も内包することができる。

ただ、そこには常に辿り着けるわけじゃなく、退屈とのうまい付き合い方が必要。興奮や発見が相対的である以上、人生の大半の時間は基本退屈なんで、それとうまく付き合う手段として音楽はとても有効だと思います。

◆◆“お客様は神様です”の意味

――DJで高みを目指すとかないんですか? 有名になりたいとか。

okadada:僕は別に大丈夫って感じですね。移動してるだけっていうか。成し遂げとか高い場所とかが目的なわけじゃないし。僕はわりと自分勝手で、つまんなくなったら音楽をやめたらいいぐらい思ってて……。

――“やめる”という選択肢もあるんですか?

okadada:あります。執着するのが怖いから。

――DJ以外に何をするんですか?

okadada:できれば働きたくないと思ってます(笑)。

――憧れのDJとかはいます?

okadada:今はいないですね。断片的に「あの人のここいいな〜」とかはありますけど。

――それは例えば?

okadada:例えば……もっと単純にDJじゃないところとかの方が多いかも。楽器が弾けるとか。(弾きたいなら)練習しろって話なんですけど(苦笑)。

――自分に足りないものはあります?

okadada:今のところないんじゃないですかね。っていうのは、何をもって完璧と言えるのかがわからないので。こと音楽において何を持って“完成”とするのか考えざるを得ないっていうか。

物事が「良くある」っていう価値判断は「基準」が必要だと思うんですよね。何でもかんでも相対的にしたら面白くないので。だからより良くあろうとしたときには、例えばダンスミュージックならまず「踊れる」っていう機能に向かって進んでいくからこそ良くあれる。「踊れるか踊れないか」っていう基準が設定されてはじめて「何が足りないのか」って事が決められると思うんですよね。でも、さっき言ったように自分の「面白い」というのが、その基準自体を少しづつズラしていく事だ、って考えた時に「自分に足りないもの」っていうのを一義的に規定できないっていうか。

そういう意味で“奉納”ってありますけど、あれ、めちゃめちゃ素晴らしいと思うんです。なぜなら神様という(現実に)ないものに基準を定めてるから。三波春夫さんの“お客様は神様です”っていう言葉も同じで、あれは「お客さんの顔色を見て、お客さんに合わせて歌うと芸が荒れる、だから神様に向かって歌った方が結果的に客の満足度を上げられる」みたいな意味らしいんですよ。

――そうなんですね。

Ookadada:つまり、特定の人や目先の成果に向かうと広い可能性が閉ざされてしまうけど、一種の仮定された機能や美に向かう方が可能性が高まるっていうか。それってすごく素晴らしい話だと思うし、“芸が高まる”ってそういうことだと思うんですよね。より可能性を孕むあり方が実は「奉納」的な自閉と解放が両立してるところにある。特にダンスミュージックはそこに特化した方がいいと思うんですよ。

DJと制作は全然違うし、よくわける人いますよね。制作期間はDJしないみたいな。その気持ちは最近すごくわかる。やってることが違いすぎて、向かっている目的地は同じなのに方法が違うからごちゃごちゃになってわからなくなっちゃう。

◆◆okadadaがレギュラーパーティを持たない理由

――okadadaさんって制作をされているイメージがあまりないんですが、嫌いなわけじゃないんですよね。

okadada:嫌いじゃないです。ただ、DJより使命感が全然ないですね。

――そのスタンスは今後も変わらない?

okadada:それも都度都度ですね。僕は基本的に常に身近な目標を決めて動いてて、大きくは平穏。自分の幸福と(自分と)多少関わった人にいいことがあればいいなって感じで、できるならそれ以上のことはしたくない(笑)。

――でも職業上そうはいかないじゃないですか。

okadada:そういう職業についた覚えもないんですけどね(笑)。

――DJになったわけではない?

okadada:(DJを)やってたらやれることになってやってるみたいな(笑)。入社式とかあったわけでもないし、DJという職業についた感覚、責任感みたいなものがない。もともとやってたことが続いてるだけなので。そういう意味では責任感がなくて申し訳ないなと思います。

――okadadaさんって自分のパーティをやってる印象がないんですが、それもそういう責任感のなさから?

okadada:そうかもしれないし、単純に(自分のパーティを)やりたくないだけっていうのもあります(苦笑)。

――それでもDJとしてやっていけるのはすごいことだと思いますけどね。

okadada:何かの一部になりたい気持ちがあるけど、自分がリードしたくはないんですよ。もちろんリードしないといけない時間があって、そういう建て付けがあればやりますよ。でも、あくまで何かの一部でありたい。“a DJ”と“the DJ”の間を行き来する、両立できれば一番いいですね。

◆◆最後に気づいたokadadaの永遠のテーマ

――今は“強さ”が求められているというか、それこそアメリカ然りマッチョな時代だと思うんですが、okadadaさんってそれと相反するというか、正反対の存在なのかなと。

okadada:そうですね。僕は確実に“アンチマッチョ”ですけど、その考え方自体マッチョなのかなと思うし、そもそも“強さ”というのも……全て基準の問題ですよね。それに“弱肉強食”って自然の摂理じゃないじゃないですか。強さというものも相対的に変えられる。

例えば、音でいえばデシベルが大きさの基準じゃなくて、音が小さくても大きく聴こえることができるし、逆も然り。僕はそういう方が好きで、特に音楽はその変化が簡単にできる。スポーツだと難しいですけどね。

――持って生まれた肉体、フィジカルの差は拭えないですからね。

okadada:音楽に比べたらやっぱり肉体が圧倒的な力を発揮する。そこにある種の美学が存在するとは思いますが、本来能力というのはものさしで測れないというか、僕は創造されるものだと思うんですよ。

例えばアートでいえば“崇高な美”というのは大いに認めるどころか崇拝の対象にすらなるんですけど、自分ごととして捉えた時にはそういうことがしたいわけじゃないというか、それは少なくとも自分がやることじゃない。

もちろん世界遺産とかスゴいですよ。でも、だからこそ怖いし、自分にはできないという諦観もある。いわば“畏怖”ですね。巨大なものとか、精密なものとかって本当にスゴいし、そのために鍛錬した努力とか時間もスゴすぎるし、素晴らしいと思う反面、自分とは関係なさすぎて興味が薄れてしまう。

――だからこそDJにおいても至高の存在でありたいわけじゃないと。

okadada:人には自分に合わない人も必ず存在して、だからこそ出入り口は自由に開けておきたいんですけど、一方でそういう人も本当は「誰も置いていきたくない」みたいな気持ちもあるんですよ。でも、それは絶対に無理だから。ライブとか映画みたいなリニアなショーならできるかもしれないですけどね、目的がはっきりしてるので。でも、クラブってそれができないし、社交場である以上は置いていくもクソもないんですよ。っていうかそれこそ乗り物なのかっていう話もあるし。

――その人の自由ですよね。

okadada:フロアにおいて自由であることを最上に置くならば、必ず取りこぼされる人がいる。というか、取りこぼされることがなければ自由じゃない。(お客さんは)自分に合わなかったらそっと(フロアから)去る。それが一番なんですよ。まあ「取りこぼし」の意味の解釈次第っちゃあそうなんですけど。

――それはやっぱり悲しい?

okadada:やっぱりみんなで一緒に楽しみたいですからね。でも、それは無理だし、楽しみを自分が思ってる通りのものとして全員に与えようとするとそれは必然的に“抑圧”になる。とはいえこれは、去っていく人がいるんじゃなく、そういう瞬間があるって話で、必然なんですよね。

誰がDJをしても必ずどこかで退屈が生まれるんですよ。それは人間の自由を尊重すれば必ずそうなるし、お客さんも同じ。僕は全員を絶対に喜ばせるよりもそうでありたいし、確実に自由を取ります。その方が可能性感じられる。

そこには絶対性に対する恐怖とともに、やっぱり付き合い方の問題もあって、だからこそイヤなものを遠ざけずにいかにいい付き合い方、いい距離感を保つことができるか。それが僕の永遠のテーマなのかもしれないですね。

(プロフィール)

okadada

1986年生まれ、滋賀県出身。大学生時代からDJ活動を開始し、現在は国内外多種多様千差万別ジャンルに関係なく様々なパーティに出演中。アーティストとしてもbandcampなどから楽曲をリリース。また、盟友shakkeとともに極私的なポッドキャスト「チャッターアイランド」をSpotifyにて配信中。

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