普段インタビューをするにあたって事前に質問を考えていくわけだけど、今回のインタビューはその意味全くなし。前説的に“記憶論”が始まり、気づけば“存在論”、そして“死生観”などズブズブと深い話に……。
ただ、そんな中でもさすがだったのは、要所要所で音楽の話が盛り込まれるそのストーリーテリング。相手の機微を見極める術はDJにとって必須なものであり、その能力に長けているokadadaインタビュー#2のテーマは、かくも儚き“音楽芸術論”。
彼が制作よりもDJに執着する理由は“残らないから”
音楽と他の芸術との大きな違いは“消える”こと…
そして、okadadaが考えるDJがお客さんにできる唯一のこと…
さらには、okadadaのDJを成立させる超奇警なBPM論に
新曲と旧曲の意外すぎる相互関係とは?
okadadaインタビュー#1
https://floormag.net/okadada2026-01
◆◆残るとは何か、残らないとは何か…
――okadadaさんはどんな音楽が好きなんですか?
okadada:別にそうじゃなくてもいいんですけど、強いて言えば評価しがちなのは聴いていて“たくさんの可能性があるように思えるもの”だったり、“変化を予感させるようなもの”とかですかね。それは音楽だけじゃなく映画や本においてもそうで、どうとでも転びそうな感じがあればあるほど面白いと思いがちですね。でもそれってDJでもできることなのかなって思うんですよ。
――DJはできることがたくさんありますね。
okadada:そうなんですよ。その中で僕はプロセスを多様化させる、可能性をたくさん担保するために何ができるかみたいなことがやりたい。
(DJ をずっと)やってたからそういう考えになったのかもしれないけど、かといってそれが自分の“DJ哲学”というわけでもなく、単にそう思ってるだけで、そう考えてるから(DJを)やってるかもしれないみたいな(笑)。
――もしかしたら明日には考えが変わってることもあるかもしれないみたいな?
okadada:そうですね。記録することの面白さは間違いなくある一方で、その記録を読んでしまったらもう必要ないみたいな(笑)。僕が重視してるのはむしろそこで、僕が作品作りに熱心にならなかったのもそこだと思う。“残る”とは何か、その先にある“残らない”をどう考えるのか。それがめっちゃ気になっちゃうんですよ。
――それは“okadada的存在論”?
okadada:というか、結局は何も残らないじゃないですか。全ては消える。でも、だからって意味がないわけじゃないし、僕自身“声なき声を聞いてる”とも思わないし。
僕は昔から“タナトフォビア(死恐怖症)”というか、自分が死ぬことが怖くてしょうがなくて、不安になることがあるんですよ。でも、一方でだからこそ“死”に興味があるし、不謹慎ですけど、どこかでそれを楽しんでるというか、それで遊んでいるところもあって……。
――恐怖と興味・好奇心は紙一重、ちょっとしたことで反転することがありますよね。
okadada:本来は茶化したらいけないものだと思うんですけど、だからこそ茶化さないと本当に喰われてしまうみたいな。
僕の中では、なによりも“おもしろ”が一番なんですけど、その対極、想像できないことが最も怖くて、でもそこには面白さがあるんですよ。だから無性にそっちに引き寄せられるし、ホラーが好きなのもそのせいだと思います。
――オカルトも好きですよね。
okadada:全般めっちゃ好きです。要は“わからないもの”とか“怖いもの”に惹かれる。自分が存在しなくなることが想像できないように、想像できないって僕は“究極”だと思うんです。
◆◆音楽は輪廻する!? Okadadaが考える芸術的特異性
――例えば“幽霊”っていると思います?
okadada:(いる・いないの)2択で言うと“いない”。そうじゃなければいろいろ言えます(笑)。
――僕は“いた方が面白い”と思ってるんですけど……。
okadada:それはさらにややこしいですね(笑)。僕の場合、まずは“いる”ってなんなのか。“存在する”ってことをどう捉えるかによる。観測できないものは本当にいないのか、とか。
色々言っていいなら“いる”も“いない”もこじつけることは可能なんですよ。前提を変えれば、その質問自体が無効化されるから。僕はそういうのが好きで、いるか・いない、ロマンがある・ないとか、そんなことはどうでもいい。質問をずらす、感性をずらすことで違うものが見えてくる、そういうのがめっちゃ好きですね。
――幽霊の話も極論どっちでもいいと。
okadada:面白ければいいです。でも、それは「ムー」みたいな話じゃなくて面白いっていうのは、さっきも言ったけど可能性の問題で、その究極の可能性が“死”。
――“生”じゃないんですね。
okadada:それって同じじゃないですか。死がないとしたら生もない。
――言うなれば“死”は結果で、“生”はプロセスじゃないんですか?
okadada:本来はそうかもしれないけど、例えばキリスト教は「魂は(死後も)永遠にある」って言うけど、僕はそれ信じられない。一方で仏教はいくつか分派があるものの、基本的には(キリスト教とは)全然違う解釈をしてる。そんな中で僕はどの立場で考えるべきなのかって言ったらわかんないわけですよ。
ただ、個人的には仏教の“輪廻”ってよくできてるなって思います。もしも宇宙がなくなってしまったら、僕らはその後のことはわからないけど、もしかしたらそこからまた何か始まるかもしれない。ならば(この世界が)もう一度存在する可能性もある。そう考えるとずっと続く。
これってめちゃくちゃ合理的で、始まりも終わりもないとしたら我々はもう一度この世界を享受できる。一方でキリスト教は始まりと終わりを設定してる。神様が作った“始まりと終わり”がある。つまり永続性を止めている。
僕らが知りようもない“宇宙の終焉後”がもしあるとしたら同じことが何度も繰り返されているかもしれないし、だとしたら僕らの“生”も……みたいな。
だからこそ(仏教は)結果じゃなく、生そのものがそもそも無いっていう事を認識したうえでそれを言祝ぐ精神を持てみたいなことを言っていて、賛同するかはさておきその理屈は理解できるし、そう考えると“やっぱ音楽いいよな”って思うんですよね(笑)。
――突然なぜ音楽!?
okadada:音楽は再生されている時しか存在してない。たとえそこにレコードっていう物体があったとしても。そして、“再生”という同じことが何度も繰り返されているっていうのは輪廻と同じ構造だと言える。
そう考えると、もし音楽が何か特別な地位にあるとしたら、それは他の芸術とは違って“消えること”が直感的にわかりやすいことだと思うんですよね。
◆◆すぐに消えるから…okadadaが音楽を選んだ理由
――確かに音楽は終わりがありますね。曲が終わればおしまい。
okadada:すごくわかりやすいし、絵画とかとは真逆ですよね。絵画は常に存在を主張してる。特に彫刻はヤバいですね。“掘る”という行為がその存在に強いパワーを植え付けていると思うんですけど、一方で音楽はすぐ終わるし、すぐ消える。
ダヴィッド・プリュドムの書いたバンドデシネに「レベティコ」っていうのがあるんですけど、そこにはあるバンドのレコーディングをめぐって“消える”ことと“残る”ことの緊張関係が描かれててそれがすごい好きで。それを読んだ影響もあるかもしれないけど、やっぱり僕はずっと存在しているように感じる形式より、すぐに消える“音楽”が自分に一番向いていると思いますね。
絵画にもなんにでも当然終わりがある。芸術全般鑑賞者がいなければ存在していないも同然ですけど、芸術を感じるにあたって“見る”という行為はものすごく存在の強さを感じる。それに比べると“聴く”は希薄というか、消えていくことへの直感がある。
――okadadaさんは消えゆく儚いものが好き? ロマンチックですね。
okadada:自分を含む人間は全て消えゆく存在であり、それを認めているからっていうのはありますね。僕は彫刻とか建築を見てるとすごい美しくてうれしい気持ちと同時に不安になるしちょっと怖いんですよ。特に“デカいもの”は。好きだけど存在感がスゴいから。
僕は交響曲とかを聴いてても怖くなることがある。あれってすごく建築的な音楽に感じるっていうか。しかも、とてつもなく精密で巨大。そういうのがすごいしだからこそめっちゃ怖い。
こうして話していて気づいたんですけど、僕は多分、存在しているものというより“残り続けていくっていう威圧感”が怖いのかもしれない。それってものすごい生命力と存在感があるから。美しい反面怖いのかもしれないですね。
◆◆okadadaのBPM論…重視するは現実と体感の違い
――ある種、日本的な感性なんですかね。“もののあはれ”的な。
okadada:そうかもしれないですね。僕の場合はそれをもうちょっとあっけらかんとやりたい。
一昨年ぐらいからダブを改めて聴き直しているんですけど、改めて思うのは音が“減退”することそのものの面白さ。ダブってエコーで減退の際を過程として見ることができるし、僕自身、音を遅くする、ピッチを下げることが好きなんで。
(曲を)遅くしていくと、どこかでその曲が曲だと認識できない瞬間がくる。それは速めても同じなんですけど、遅くした時の方がその曲が解体していくプロセスがよく見える。要は、音がほどけていく様子を見るには、遅くした方が面白いわけですよ。
――確かにそうかもしれないですね。
okadada:どのタイミングで曲が曲として認識されなくなるのか、それがすごく面白い。音が音じゃなくなって、音楽が音楽じゃなくなる瞬間とかが。
――音楽が音に戻る瞬間みたいな。
okadada:そうそう。合一性を失うわけですよ。それってまさに“死”みたいなもので、その瞬間を観察してる。
――なるほど……。ただ最近は世の中的に“速い”ものが好かれてますよね。
okadada:そうなんですけど、そもそも速い・遅いも相対的なもので、僕は音楽においてそこが面白いと思うんですよ。例えばBPM 120の曲とBPM140の曲を比較した時に前者の方が速く感じることがある。それは“体感”で。その反面、BPM 140でも遅く感じる曲もあったりする。
――体感はあてにならない?
okadada:逆です。数値で分析できてない「速さ」の感覚がある、それが人間なんやと思いますね。あとは意識の問題。例えば、僕はBPM 200の曲もBPM 100やと思っていて。
――それは半分で刻めばですよね。
okadada:理論的にはそうなんですけど、それをコントロールできることが面白いと思うんです。
――okadadaさんのDJってBPM関係なしというか、そもそも振り幅が大きいですが、それはそういうこと?
okadada:スピード感のコントロールはBPMとは別に存在しているわけですよ。人間にはそれぞれ体感のスピードがある。だから、みんなが“早い”と言っているものに対して、僕はたまに“おっそ”と思うことがあるし、ガバが遅いと思うのは単純にリズムのズレを楽しむ余地が構造上狭いからなんですよね。
“速い”というのは例えばスイングの話で、アフリカンリズムは(拍子が)表も裏もどっちとも取れるから速くもあり、遅くもあって面白い。それに僕は後ろに倒れるようなリズムが好きなんですけど、それってスピードの認識がズレていくからなんですよね。
フロアにおける音楽の速さって基本的には体感の話で、BPM180は確かに速いけど、それも1時間聴き続けると感覚が変わる。その後にBPM120の曲を聴いたらBPM120に感じない。そういう話なんですよ。
――なるほど。
okadada:それで選曲の話に戻るんですけど、何をもって選曲してるかといえば、体感がどういうふうに作用しているか見ているところもありますね。
(フロアに)どういうヤツがいるとか、ファッションとか、お酒がどれだけ出てるかとかもそうだし、人の体を見ていると速さがどう捉えられているかなんとなくわかる。(DJの最中に)お客さんのためにしていることがあるとしたら、それだけですね。
◆◆フロアが“立つ。立たない”、その真意とは?
――そういう意味ではフロアをよく見てるんですね。
okadada:合意形成に必要不可欠なので。僕は“フロアが立つ・立たない”っていう言葉を使うんですけど、「フロアが立ってない」というのは反応が一切ない、っていうか無意識の合意がなされてないってことで。そういう時はまずこっちから何かをぶつけたり、こっちからルールを形成して提案してフロアを立たせないといけない。そこからはじめてコミュニケーションが生まれる。
「フロアが立つ」というのは、盛り上がってるかどうかじゃないんですよ。判別する上で盛り上がっているかどうかは一番わかりやすいけど、一見盛り上がってなくてもフロアが立ってる時はあるし、逆に盛り上がっていてもフロアが立ってないこともある。
――義理で踊ってるみたいな?
okadada:そうそう。僕はそれがイヤで、そうなるくらいなら盛り下がったとしてもフロアを立たせたい。僕にとってフロアが立つ=相互のコミュニケーションが促されている状態で、そこでは盛り上がっていようがなかろうが別にどっちでもいい。自由っていうか、むしろそこからしか自由は生まれないみたいな。
それに(DJの)面白さが出るのもフロアが立ってからなんですよ。それまではどれだけ複雑なことをやっても意味がない。ルールが分からないゲームやってるみたいなところがある。お互い準備ができてないから効果ないんですよ。会話になってない。
最終的には(合意形成が取れた上で)僕がお客さんにそそのかされて、僕もお客さんをそそのかしてる、そういう相互に影響を与えてる状態が楽しいからDJやってるところもありますね。ゲームのルール自体が毎秒生成されていってるみたいな面白さが出るっていうか。そしてそのためには何でもする。(DJの)技術・テクニックもそのためにあると思ってます。
――選曲もそのための手段でしかないと。
okadada:そのための導線ですね。たまに選曲してる時に「なんで俺こんなことしてるんだろ?」って思うことがあるんですよ。あとは「今日、この曲かけるつもりじゃなかったのに……」とか。そういうのめっちゃ嬉しいですね。自分が事前に思っていた音楽の捉え方と変わってるっていうことだし。自分で選んでいるんだけど「俺が選ぶはずじゃなかった!」みたいな。そういう時がめっちゃ嬉しい。
――“神の手”みたいな感じ?
okadada:「神の意思」のように思えるけど、それは全員の無意識の合意なんですよ。(僕が)お客さんに変えられたし、僕がお客さんを変えたわけで。
◆◆選曲は偶然の産物!? okadadaのDJ的相対性理論
――でも、楽曲を購入する時は本当にフロアで機能するかわからないわけで、曲を買う時はどうしてるんですか?
okadada:基本的にはノリですね。どうなるかわからないからこそいろんな曲を聴くし、いろんな曲を買うようにしてます。
――音楽なんて無限にあるし、その中から選ぶって大変ですよね。
okadada:ジャンルは絞った方がいいとは思います。深さとか美的な感覚でいったらその方が深くなるし、そのジャンルの“美学”みたいなのが生まれてくるから。でも、僕はそれができないんですよ、飽きちゃうから(苦笑)。
こんなこと言うのもなんですけど、だから僕は「専門家としていい曲を選んでる」って全然思えなくて、その時たまたま目の前に現れた曲をたまたまかけてるとしか言いようがない。
――“運命”みたいなもの?
okadada:“偶然”っていった方が近いですね。自分がどんどん変わっていくように、好きな音楽も常に変化するし、DJに関していえばその場の空気も大事。気温とか誰が何人いるとか、何時とか。音楽自体よりそういう方が大事で、っていうかそれが音楽的な現象だと思うし、それがその曲に対する自分の感覚を変えていく。そこがまた面白いと思いますね。
――相対性理論みたいなものですね。
okadada:そうかもしれないですね。そもそも“感性”って相対的なところがある。やっぱり僕は“絶対的”なものがどこかで怖いのかもしれない。新しいものも古いものも相対的に面白いと感じる状況には同じくらいの可能性があって、結局は新しいものも過去のものとの比較でしかないから同じとも言えるわけですよ。
――確かにそうですけど、新しいものは時代性というか、その時代に合わせた魅力がありますよね。
okadada:ありますね。だからわかりやすく共感できるんですけど、その一方で新しい音楽を聴くことで古い音楽が発見できて、古い音楽を聴くことで新しい音楽に接続できる。だから究極的には相互関係なんですよ。
結局、物事の価値が変わるのは自分の認識の変化であって、その認識を変える媒介として新しい音楽を聴くことはとても有意義だと思うんです。そもそも、時代の流れというのは自分も含めたその時代の人の感性の集合値で、であればお客さんも少なからず影響を受けている。その感覚は大事なことだと思いますね。
#3に続く……
(プロフィール)

okadada
1986年生まれ、滋賀県出身。大学生時代からDJ活動を開始し、現在は国内外多種多様千差万別ジャンルに関係なく様々なパーティに出演中。アーティストとしてもbandcampなどから楽曲をリリース。また、盟友shakkeとともに極私的なポッドキャスト「チャッターアイランド」をSpotifyにて配信中。
