ダブステップ・シーンの勃興期から、ジャンルの枠にとらわれないサウンドを提示し続け、絶対的な評価を獲得しているHyperdubとその首領コード9。
レーベル10周年を迎えたタイミングで敢行したこのインタビューでは、Hyperdubがダブステップ・レーベルであるというパブリック・イメージを消し去ることになるはずだ。
コード9本人が振り返るレーベルの10年間、そしていかに様々な音楽背景を持ったクラスターであるかをぜひ読み取ってほしい!
また、先日公開した記事「Hyperdub10周年の歴史を紐解くディスク10選」も併せて、このレーベルの特性をより深く知ってもらい、
さらにレーベル・ショウケース『Hyperdub10』の会場で身をもって体感いただければと思う。

※本インタビューは『FLOOR vol.01』(2014年1月発行)に掲載されたものと同一の内容です。

――10周年を迎えた率直なお気持ちは?

「自分の音楽をリリースするのが目的で、レーベルを設立したんだけど、いまでは色々変わってきているね。いまのHyperdubは決してダブステップのレーベルではないしね」

――00年に入り、ダブステップやグライムが生まれ始めたと言われています。当時、“なにか面白いことが生まれている”という雰囲気は感じられましたか?
また『FWD>>』など伝説的なパーティにも出演されていましたが、どのようなパーティでしたか?

「僕は当時『FWD>>』などのパーティよりも、初期のダブステップ・シーンとの関わりの方が強かった。『FWD>>』は、ダブステップやグライムといったUKガラージのダークな部分から派生した2つのサウンドを結び付けてくれた。
02~03年頃に『FWD>>』は、プラスティック・ピープルという素晴らしいサウンドシステムがある会場に移動した。そのときのお客さんは50~100人くらい。そのほとんどがDJやプロデューサーで、このサウンドシステムで自分の音楽を研究していた。これが初期のダブステップが生まれた重大なきっかけだ。音楽はよりミニマルになり、ベース志向になっていった。
だから、初期の『FWD>>』は、パーティというより実験室のようだった。お客さんが多くなってきたのは、その何年か後の話で、ダブステップが広まって、『DMZ』も始まり、400~700人くらいの規模になった」

――レーベルロゴにカナカナを使用していますが、日本には以前から興味があったのでしょうか?

「80年代の音楽や昔の映画など日本のカルチャーには興味があった。当初から日本にはHyperdubを受け入れてくれる場所があると感じていたんだ。だから、最初からカタカナをロゴに載せたんだよ。日本人のデザイナーの友人にカタカナ表記で書いてもらったのが始まりで、もちろんビジュアル的にも良いと思っていたんだ」

――05年にはブリアルの“South London Boroughs”がリリースされます。彼と初めて会ったときの印象を教えてください。

「彼はウェブジン(Hyperdub設立以前にコード9が運営していたウェブマガジン)の読者で、僕の取り上げる音楽が好きだと言ってくれ、自分の作った音楽を送ってくれた。02~04年の間はずっと聴いていたよ。それで他人の作品もリリースしてレーベルの幅を広げていこうと考えたんだ。実際に会ったのはそのときだったはずだけど、う~ん、思い出せない(笑)」

――06年はダブステップにとって重要な1年になりました。あなたとブリアルのアルバムがリリースされ、BBC Radio 1ではメアリー・アン・ホブスの『Dubstep Warz』がスタートしました。

「パーティを通してダブステップが拡大しているのを実感していた。『DMZ』はとても大きく発展していたしね。自分とブリアルの音楽に関しては、正直誰も興味を持たないと思っていた。ダブステップが浸透していくのは納得ができたけど、この2枚のアルバムはちょっと変わった内容だったからね。
だから、話題になったときはとても驚いた。確かに『Dubstep Warz』はダブステップをメインストリームに広めることになったし、スクリームのアルバムも06年だった」

――07年にはブリアルの「Untrue」が世界的にヒットしましたが、これ以降商業的なサウンドへと変化する流れも生まれました。

「07年以降は、ダブステップが過飽和状態になっていった。僕はすでにダブステップに7~8年関わっていて、メジャー・シーンに受け入れられ始めたのが07年だった。その時期から09年の終わりにかけて、ダブステップに対する愛情が冷めていった。
人気が出ることに対しては何の問題もなかった。問題だったのは、クソみたいな音楽に聴こえ始めたことだ。その時点でダブステップは、商業的でやかましい要素が加わっていた。“このときにダブステップと呼ばれていた音楽”は僕にとって興味のある音楽ではなかった」

――そういった流れの一方で、独自のサウンドを生み出すアーティストも増えます。Hyperdubもダブステップの枠を超えたサウンドを提示する傾向が強くなりました。

「その通り。特にシンセサイザーやゲーム音楽にインスパイアされた音楽が多かった。日本のアーティストのQuatra330をリリースしたし、自分のプロダクションもゲーム音楽をサンプルしたものが多かった。他にはダークスター、ゾンビー、アイコニカといったアーティストもシンセサイザーがベースの音楽だ。
ダブステップというジャンルの多くに、モノクロというのか、色彩が欠けると感じていた。だからHyperdubはカラフルで明るい方向へ進むことにした。06年以降はそういったリリースが多く、僕たちは“ネオン・シンセサイザー・サウンド”と呼んでいた」

――では、10年間を振り返って、もっとも印象的な出来事はなんでしょうか?

「『Untrue』がマーキュリー賞にノミネートされた夜のことはよく覚えている。僕はブリアルと一緒にいて、なるべくテレビを観ないようにしていた。ストレスだったからね。ある新聞社は、“ブリアルとは何者か?”という特集をやろうとしていた。だから、先手を打ってブリアルの情報と写真をネット上に流すことにした。08年のことだ。とても異様な経験だったよ。
あとは09年のレーベル5周年のパーティは最高だった。もうひとつ印象的だったのは、去年東京でHyperdubのパーティをやったときだね。ラインアップ、クラウドのすべてが噛み合って、僕たちにとって完璧な夜だった」

――10周年アニバーサリーではどのようなプロジェクトを進行する予定ですか?

「4つのコンピレーションを予定している(※1)。収録される曲の半分はリリースされているもので、もう半分は新曲になる。Hyperdubのベストをリリースするのではなく、いままで作ってきた様々なクラスターを紹介したいと思っている。
1つはグライム、ダブステップ、フットワークを集めた攻撃的でエキサイティングなもの。
同時にHyperdubは美しいアンビエントの音楽も作ってきた。それもひとつのコンピになる。
また歌やボーカルがメインの音楽もたくさんあって、女性シンガーとも関わってきた。Hyperdubはあまりそういう音楽と関連付けられないから驚く人もいるのではないかと思う。だから、それがもう1枚。
そして、もちろん4つ打ちやハウス、テクノ関連の音楽もリリースしてきた。それが最後の1枚。この10年間を通して異なるクラスターやスタイルを並行して運営したことを見てほしいね」

※1 すでに「Hyperdub 10.1」「Hyperdub 10.2」「Hyperdub 10.3」「Hyperdub 10.4」として発売中。

――再び日本でレーベル・ショウケース(※2)が開催されますが、どのような内容に?

※2 2014年1月31日に行われたパーティのこと。コード9、DJラシャド、ローレル・ヘイロー、アイコニカらが来日した。

「日本でプレイするのは本当に楽しみだ。音楽について色々勉強していて、Hyperdubがどういうものか理解している。これほど詳しいオーディエンスは世界でも少ない。
一晩を通して、Hyperdubの幅広い音楽領域をカバーすると同時に、よりエキサイティングな夜になるはずだ」