サーフムービー「sprout」の監督などで知られるトーマス・キャンベルが15年に渡る作品のアーカイブを収めたアートブック「SLIDE YOUR BRAINS OUT」を引き下げ、エキシビジョンのために来日した。大胆かつ繊細な作品のバックグラウンドやカリフォルニアのサーフシーンについて話を聞いた。

ミレニアムを迎える頃、南カリフォルニアのサーファー達はある16mmの映画を観て、それまでとは違うボードに乗り、違うスタイルでサーフィンを楽しむようになった。そのきっかけがトーマスの第1作目の映画“The Seedling”だった。

サーフィンの歴史は古く、西暦400年頃にはサーフィンの原形のようなものが存在していたと考えられているが、ボードにはフィンがなく、方向転換なしにライディングを楽しんでいたようだ。
20世紀に入りハワイから始まったスポーツサーフィンがカリフォルニアやオーストラリアなど各地へ広がり、サーフィンが認知された1950年代後半にはロングボードにシングルフィンをつけることが主流となって流れるようなターンが実現した。
60年代後半にはサーフボードのサイズがぐっと短くなり、よりアクティブなライディングが可能なショートボードがメインストリームとなった。
それから約20年間、ロングボードは過去のものとして忘れ去られていたが、トーマスはそこに新たな光を当てる。
メジャーとなったショートではなくクラシカルなスタイルでロングに乗り続けた父親から幼少のときにサーフィンの手ほどきを受けたジョエル・チューダーはワールド・チャンピオンのタイトルも持つ影響力のあるサーファーだ。
ジョエルはこの映画に登場し、デボン・ハワードといったロングボーダー達とともに90年代のネオ・クラシック・ムーブメントの立役者となった。そして映画を通じてウェストコーストでの出来事は、世界中に知られることとなった。

トーマスは独自の世界観で、サーフィンを心の琴線に触れるようなアーティスティックな映像として焼き付ける。04年に発表した“Sprout”にはジョエルの他、ロブ・マチャド、ケリー・スレーター、ジェリー・ロペスなどのトップサーファーが登場し、多種多様なボードで波に乗る人々の冒険が描かれている。09年に公開された3作目の“The Present”では西アフリカ、ハワイ、インドネシアなどを旅してまわり、雄大な自然へのリスペクトとともにサーフィンを表現した。

映画を撮る側でなく、ドキュメントされる側になったのが、2003年に公開された“Beautiful Losers”。スケートボード、サーフィン、パンク、ヒップホップ、グラフィティ・カルチャーの真っただ中で遊んでいた「落ちこぼれ(ルーザーズ)」と社会から烙印を押されたトーマスをはじめとしたアーティスト達は、ニューヨークのイーストヴィレッジにオープンした手づくりのギャラリーでアートムーブメントを巻き起こし、それまでアートの世界で常識とされていたものを覆してしまった。

トーマスは絵描きであり彫刻家でありフォトグラファーでもある。そして映画のサウンドも担当しているトミー・ゲレロ等が参加するレコードレーベル“Galaxia”のオーナーであり、そのクリエイティブ・ディレクターを務める…と彼のクリエイティビティはあらゆる分野で惜しみなく発揮されている。そんな彼のことを「あれこれ手を出し過ぎでは?」と言う人もあるが、フォーマットを越えて表現される彼の世界観に多くの人が共感している。

80年代初期のスケートボードカルチャーにおいてDIY精神の美学を確立した人物でもあるが、彼の写真スキルは学校ではなく、スケートボード・マガジンで実際に働きながら得たものだ。

そんな彼が15年もの長きに渡る期間の膨大なアーカイブを納めたアートブック「SLIDE YOUR BRAINS OUT」を世に生み出した。なぜ今このタイミングだったのだろう?

「フォトグラファーとしてのスタートを切ったのは、スケートボード・マガジンで働き始めてから。 サーフムービーを撮っているときも常にシャッターを切っていて、世界中旅しながら写真を撮り続けてきた。マガジンには掲載していたけれど、全体の一部で一時的なものであるから…。ようやく『自分の作品を本という形にまとめたい』という気持ちがシンプルに湧いてきて『こんな見せ方をしたい』という具体的なビジョンが浮かんできたんだ。なかなか体験できないようなシーン。そんなものを収めたいと思った。
この本は10冊続くシリーズの第1作目。棚に全て並べてみたとき、アーカイブみたいにフィットするように同じサイズ、フォーマットにする予定だよ。おそらく2作目は来年に発表できるんじゃないかな。モロッコへのサーフトリップにフォーカスを当てているけれど、この18年間のクラッシック・シングルフィンボードの軌跡を垣間見ることができると思う。モロッコはとても気に入っている場所で、ここ20年のうちにもう9回ほど足を運んでいる。初めて訪れたのはたしか1994年。1週間の滞在で20〜25回ほど海へ入ったけれど、僕ら以外には誰もいないパーフェクトなシチュエーションでのサーフィンは最高だった。あとはインドネシア。すごく好きな場所で、今回の本にもいくつか写真を収めているよ」

——写真を撮っただけでなく、本のチーフエディターとして写真のセレクトをしたわけだけれど、15年もの長きに渡る期間のたくさんのアーカイブの中からセレクトするのは大変じゃなかった?

「全然苦にならなかった。僕はスケートボード・マガジンのフォトエディターになってからずっと、なんらかの編集に携わってきているからね。今回の本には78枚ほどの写真を収録したけれど、バランスや本の流れやリズム、写真と写真の関係性を考慮して450枚以上の中から選んだ。おもしろい作業だったよ、僕は決断が早いしね」

——自分のやりたいことが明確にわかっているってことは、アーティストとしてとても重要な要素ね。

「全くそうなのかはわからない。でもいつも自身の内なる声を聞こうとしているし、それに従って決断し行動している。アーティストとして『君は彫刻もやるし写真やムービーも撮る。手を出し過ぎなんじゃないか?』という人もいるけれど、僕はただ、目の前で取り組んでいるものに対して自分のクリエイティビティを発揮しているだけなんだよね。とても楽しいよ。『お次はなにがくる?』って感じでいつも自分の気持ちを新鮮に保つことができるんだ」

——私はサーファーでもスケートボーダーでもないんだけれど、あなたの作品を見ていると不思議と 懐かしい感じがする。夢で見たような、夏の思い出の一コマのような。メランコリックなイメージ。そんなふうに他の人も感じるんじゃないかと思う。どんなふうに自身のスタイルを築き上げてきたの?

「そう、メランコリックであることは作品を作るときに常に意識していること。僕らの人生について考えてみると、それを構成している大部分は、輝かしい瞬間ではなくむしろ、そういったひととき以外のなにげない時間なんだ。なぜだかわからないけれど、僕はそんな 静かな情景に心惹かれ、撮りたいという気持ちに駆られる」

——世にあるサーフフォトはテクニカルでスポーティ、タフな印象を受けるものが多いように思うけれど、あなたの作風は全く違っているように思う。

「そう、メーカーのロゴがよく見えるよう、近くに寄った鮮明で迫力ある写真。そういったものが多いと思う。ライディングする人の人格も写真によく現れていることも多い。僕が求めているのはそれとは正反対で、辺りを取り巻くものすべてなんだ。被写体の人生、やっていること、人格は写真を構成するごく一部のもので、僕が撮りたいのはその情景なんだ。
今まで40、50人ほどのサーファーを撮ってきたけれど、ランダムにではなく、サーフスタイルやライフスタイルに共感できる人達だけを撮っている。今回の本に収録されている写真もそういった人達とサーフトリップに一緒に回って撮ったものだよ」

——彼らとはどうやって知り合ったの?

「ドミノみたいにある人をきっかけにどんどん知り合っていった。最初に撮ったサーフムービー“The Seedling”でジョエル・チューダーを撮ったんだけれど、彼は僕がスケートボード・マガジンで撮っていたのを知っていたことから知り合った。ジョエルはスケートボーダーとしても活躍していたからね。僕はアーティストだから見た目もいわゆるサーファーとは違っていて、最初のうちは古いカメラを回す僕を見て周りのサーファー達は『アイツは誰なんだ?』と訝しげに思っていたみたいだよ。でも出来上がったムービーを観て見方が変わったらしく、次から次へと新しいサーファー達と知り合っていった。
ジョエルは才能ある素晴らしいロングボーダーでその影響力も大きかった。彼をきっかけとして、多くの人がシングルフィンをはじめとしたクラシカルなシェイプ、デザインに改めて目を向けるようになったんだ。彼はサーフシーンで新たな道を切り開いたんだ。それをフィルムに収めた」

——カリフォルニアのある一部のエリア、サーフシーンで起こった出来事だけれど、世界中の人達が知っている。この事実はすごいことだと思う。
サーファーの他にあなたの作品に影響を与えた人は? 映画“Beautiful Loser”の監督でありアレッジドギャラリーを始めたアーロン・ローズとはどう知り合ったの?

「あの映画は2003年に発表されたもので、僕が創作活動をはじめたのは13歳の頃、1983年だよ。映画の中でも言っているように、子供の頃は誰だって絵を描いたり物を創ったりする。みんながアーティストなんだ。スケートボードカルチャーと出会って何年かは創作活動をストップしたけれど、仕事として写真を撮りはじめて再びクリエイトすることを再開し、続けてきた。
アーロン・ローズとニューヨークで出会ったのは1993年。以来、一緒に物づくりをやってきて、そのうちの6年間の軌跡が映画にも収められている」

——映画を学生の時に観たけれど、すごくインパクトがあった。ストリートカルチャーがハイアートとして認知されはじめた瞬間。その貴重なときが収められているように思った。映画を観てわかるのが、アーティスト達はただ純粋に作品を作り続けているだけで、決してお金持ちに買ってもらえるようにと意識して作っているんじゃないってこと。振り返って当時の話を聞かせて。

「あれは人生の中のひとときであって、僕らはみんな学んでいる最中だった。中にはバリー・マッギー、マーガレット・キルガレン、クリス・ジョハンソンのように長い友達もいて、お互い影響を与え合って成長してきた。とても楽しいときだった。アートムーブメントの渦中にいるって経験はそうあるものじゃないと思うけれど、僕は偶然そこに居合わせることになったんだ」

——今後「Beautiful Loser」のようにまた、仲間達とエキシビジョンをやる予定はある?

「来年、ある美術館の展示のキュレーションをする予定で、詳細は話せないけれど、それは友人達と一緒にやる、まさにそんな感じのものだよ」

——あなたは絵描きであり彫刻家であり、写真家、そして音楽レーベルもやっている。世にアーティストはあまただけど、あなたのような人はとても珍しいと思う。

「Galaxia Recordsでの僕の役目は主にアートディレクターとしてクリエイトすること。ビジネスサイドは共同経営者がやってくれていたけれど、彼も忙しくなって最近は活動をしていないんだ。今後は本やムービー、音楽とより広いフォーマットを扱うプラットフォームとして『Um Yeah Press』での活動が増えると思う」

――そもそもレーベルを始めたのは、より自由に物作りをするため?

「『有名になりたい、稼ぎたい』と思うなら大きなプロダクションの方が都合いいと思うけれど、僕の場合はむしろ小さい会社で、まさに自分のやりたいことを「これだ」という方法でやりたいんだ。大きな組織になると、あれこれみんなの言うことを聞かないとならないだろう(笑)。
ちょうど新しいスケートボードムービー”Cuatro Suenos Pequenos” (スペイン語で『4つの小さな夢』)を来年Um Yeah Pressからリリースする予定だよ」

——今までにも数度来日しているけれど、何か思い出はある? 日本のアートシーンやサーフシーンについてはどう?

「日本には6、7回来ているかな。日本は好きだよ。ダイナミックで興味深いカルチャーがあるし、古きを重んじる気持ちやその土地についての歴史をよく知っていたり…日本へ行く度に驚かされるよ。
サーフカルチャーについては、ディテイルにこだわっているサーファーが多いと思った。人とは違ったものが好きで独特の好みを持っている。みんなとは言わないが(笑)とても趣味がいいサーファーもいる。今回の来日もとても楽しみにしているよ」