4月28〜30日にかけて、静岡県・東伊豆クロスカントリーコースで開催される『Rainbow Disco Club 2018』。そのRed Bull Music Stageで、今回世界を代表するふたりのレコードディガー……ピーナッツ・バター・ウルフとMUROのB2Bが決定した。

それは時代やジャンルの枠組を超え、全てのサウンドが交錯する、まさに音楽ファンにとっては至福の時間となるに違いない。そこで、今回はその共演前に両者にレコード、そしてDJに関して同じ質問をぶつけたクロストークを敢行。

すると、彼らがハードディガーとなった由縁や1980年代の貴重な話を聞くことができた。さらに、ピーナッツ・バター・ウルフの人生を変えた音楽界に刻まれた普及のアンセムも必見!

——まずはレコードとの出会いや最初に買った曲など、レコードとの馴れ初めを教えてもらえますか?

Peanut Butter Wolf(以下、P) 1970年代、まだ子供だったころ両親がVinyl of the Month Clubに入っていたんだ。これは家族でレコードを1枚、もしくはトラック8曲を選ぶと、それが郵便で届くというものだったんだけど、そのレコードが届くと大はしゃぎしていたのを今でも覚えている。

両親はイージーリスニングやカントリー、あとはクラシカルな音楽が好きで、僕もそれに影響を受けたけど、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』を観てディスコやファンクにのめり込んだんだ。初めて買ったレコードはそのサウンドトラックだったね。確か……6〜7歳のころだったと思う。

あとは『Grease』とビージーズ・バージョンの「Sgt. Pepper’s」も買った。この3枚は全てRSO Recordsからリリースされていて、当時の僕は同じレーベル内の楽曲のそれぞれが持つ色や音質に共通点があることを知ったんだ。

あとは、当時僕の担任だった先生がジャクソン5の“Shake Your Body(Down to the Ground)”やヒートウェイヴの“The Groove Line”のようなダンサブルなレコードをかけていたり、9歳のころに親友になったスティーヴとランチマネーを握りしめて45回転のレコードを買いにいったもんだよ。

そのころは野球カードも買っていたけど、1981年にはそれをやめ、レコードだけにお金をかけるようになった。基本、45回転モノがほとんどを占めていたけど、たまにアルバムや12インチも買ってたね。エレクトロやラップのレコードは12インチだけのリリースが多かったからさ。

MURO(以下、M) 僕は小さいころソノシート(既存のレコードとは異なる、塩化ビニールでできた薄っぺらなレコード)というものから始まり、中学、高校とレコードをレンタルしていたのがベースになりますね。

——では、DJになった背景を教えてもらえますか。また、当時のシーンはどのような状況だったのでしょう?

M まわりが野球やサッカーなどをしているときに、僕はローラースケート場に通っていたりして、そこで音楽をかけている人がDJスタイルでブラックミュージックなどをかけていたんですよ。どんな曲をかけているのかなどをメモして、自分でもレコードを借りたりしているうちにDJというものを意識していったのかもしれないです。

P 僕は最初ラジオDJになりたかったんだ。当時、サンフランシスコのラジオ局KSOLをよく聴いていたんだけど、そこは年末にソウルやファンク、ディスコ、ラップの年間ベストカウントダウンをやっていてね。

1983年、当時12歳の僕もスティーヴとベストカウントダウンをテープに録ることに決めた。ターンテーブルをふたつ用意して、真ん中にステレオを置いて、曲をかけてはそれについて話していたね。

その後1984年、14歳の誕生日に人生初ミキサーをゲットした。そのとき使っていた両親のターンテーブルはピッチコントロールがないFisher製とピッチコントロールありのPanasonic製。だから、キレイにミックスするのは大変だったけど、そんなことはあまり気にしなかった。それよりもスクラッチするのが好きだったからさ。

ミキサーを手に入れたその日にクラフトワークの“Numbers”の上にスクラッチして録音しんだけど、酷い内容だったよ(笑)。でもすごく楽しかった。

あと、当時はスリップマットなんて付属のゴム製のものしかなくて、スクラッチをすると摩擦で背面がすぐダメになっていたよ。

——もしも、そのころの自分に今メッセージが贈れるとしたら、どんな言葉を投げかけますか?

P DJを始めたころ、高校生だった僕はサンホゼに住んでいて、各地のショーにキング・シャミークと回っていたんだ。そして、いつものように会場に向かっていたときに、彼が“いつか路線バスじゃなくて、ランDMCやザ・ファット・ボーイズ、フーディニのようにツアーバスで各地を回るんだ!”と言っていたんだけど、そのときは夢のような話だと思ってた。
でも、その後シャミークはNYに移住し、ツイン・ハイプやキング・サンのようなアーティストと仕事をして、国営放送のテレビで彼のミュージックビデオが流れていたときは驚いたよ。それは、僕にとってすごくモチベーションになったし、諦めない心を授かった。結果、僕にも同じようなことが舞い降りたんだけどね。

——これまでの人生の中で、最も影響を受けたアーティストは?

P 影響受けたDJはわからないけど、DJを始めた当初は先日亡くなったキャメロン・ポールのようなミックスもスクラッチもできる、ヒップホップ・スタイルのDJに憧れていた。彼のプレイはそれまで聴いたことがなく、それでいてすごく生っぽくて、本当にカッコ良かった。

M 名前を挙げればキリがないのですが、ロード・フィネスとかですかね。あとは、チェアマン マオやK・プリンスも日本で一緒にパーティをしましたが素晴らしいアーティストだと思います。

——現在、レコードは何枚ぐらいお持ちですか?

M よく聞かれるんですけど……今は整理して、以前よりはだいぶダイエットしましたね。それでも家の様々なところにLPや12インチ、7インチがあります。

P 正直分からない。7年前に引っ越したときコレクションの1/3を手放したんだ。でも、今はまた増え始めているし……。

ちなみに、20年前にアルバムを出す直前に当時の彼女の父親に“おまえのレコードは1トンぐらいあるな”と言われて、その言葉がきっかけでアルバムのタイトルを「My Vinyl Weighs A Ton」にしたんだけど、そこにはパブリック・エナミーの“My Uzi Weighs A Ton”ももじってる。そのタイトルには、アルバムがレコードコレクターである自分のコレクションからコラージュを作っているような感覚だったからという意味もあるんだけど……今年はそのアルバムを発表してから20年が経つんだよね。

——スタジオや自宅にはどんな機材が置いてありますか? こだわりがあれば、それも教えてください。

P 僕はいまだにTechnics 1200を使ってる。1984年にDJを始めたころ、それはノドから手が出るほど欲しかったものだったけど、ようやく手に入れたのが1995年ごろかな。

カリズマとレコーディングしたときは安物のターンテーブルでスクラッチしていたのを思い出すよ。針はレアな45回転レコードをまわすときはShureのM44G、SeratoでDJをするときはShureのM 44-7を使ってる。前者は後者より音質も劣るし、音量も低いけど、針が尖っていないからレコードを傷つけなくてすむんだ。

アンプやスピーカーはまだこれだっていうものがなくてね……いまだ模索中だ。

M 基本的にターンテーブルとミキサーで、こだわりはそんなないですね。レコードがしっかり聴ければそれでいいです。

——これまで手に入れたレコードの中で、特に印象に残っているものや不思議な出会いなどがあったら教えてください。

P レコードとの出会いは、これまでいくつものストーリーがあった。なかでも特筆すべきは、マッドリブがアルバムの中で僕が紹介した曲をサンプリングしたときだね。

彼のカジモト名義による“Shroom Music”は僕がシアトルで買った7インチなんだ。それは1975年に発売された変なコマーシャル曲でね……。その後、ずっと探しているんだけどDiscogsでもいつも売り切れになっている。

あとは、マッドビリアンの“Shadows of Tomorrow”も数年前に僕の姉の中国人の友だちにもらった中国の曲だ。それはどこにも元ネタがなく、また探さないといけないんだよね……。

M 1990年代、よく海外に行っていたときに、日曜なんかに普通の民家でやっているガレージセールで結構レコードが売っていて、一緒に行った仲間と右から見るか、左から見るかで探しているレコードを引き当てたことがありましたね。

——あなたがレコードを掘り続ける理由とは?

M 当たり前のことすぎて、理由を考えたことがないですね。

P シンプルに言えば、唯一今でも続いている情熱だから。初めてレコードを買ってはしゃいでいたころからしてみれば、30年後の今日も同じことをしているとは思ってもいなかった。

レコードを掘り過ぎて今までの彼女を何度も怒らせてきたけど、それは仕方がないことだと思う。レコードのこと以外は、すごく単純な人間なんだけどね。

——では、最後に世界で一番お気に入りのレコードショップを教えてください。

P 最近はDiscogsかな……。

M 2000年代に一度行きましたが、ピッツバーグのJerry’s Recoirdsは素晴らしかったですね。

RDC2018_20180316FB

EVENT INFORMATION

RAINBOW DISCO CLUB 2018

2018.4.28-30 Sat-Mon

OPEN 22:00

東伊豆クロスカントリーコース(Shizuoka)

早割チケット¥16,000 ADV¥18,000

Four Tet × Floating Points [B2B DJ Set] / DJ Nobu × Joey Anderson / Antal × Hunee / San Proper / JD Twitch (Optimo) / Octo Octa [Live] / Sassy J / Josey Rebelle / Edward [Live] / Chee Shimizu / Yoshinori Hayashi / Kikiorix / Sisi / Soichi Terada × Kuniyuki × sauce81 [Live Session] / Peanut Butter Wolf × MURO / DJ Masda × Eli Verveine / Gonno × Masumura [Live] / Opal Sunn [Live] / Sapphire Slows × Miiia

インフォメーション

Peanut Butter Wolf ピーナッツ・バター・ウルフ 1980年代からDJ・アーティストとして活躍。世界でも有数のレコードコレクターとしても知られ、その豊富な音楽知識とスキルフルなプレイで世界を魅了。1996年には、ヒップホップを軸に様々なサウンドを展開するアメリカ西海岸の超名門レーベルStones Throwを設立。そこから数多くの逸材とアンセムを世に送り出しつつけている。
MURO ムロ ヒップホップ〜ソウル〜ファンクなどあらゆるジャンルに精通し、1980年代以降日本のみならず海外でも活躍。また、“King Of Diggin'”との異名を持つレコードコレクターとしても高名。DJ・アーティスト以外にも日本のヒップホップ黎明期にはMCとしても活躍。アンダーグラウンドのみならずメジャーアーティストのプロデュースも盛ん。