1970年代より第一線で活躍し、レーベルON-U SOUND率いるダブ・レジェンド:エイドリアン・シャーウッドが来日する。大阪、名古屋、そして東京とまわる今回のツアーでは、80年代半ばまでに発表された彼の楽曲で構成される「’79~’89 Classic DJ Set」に加え、シャーウッドの最新ダブが堪能できる「All New Selection – Live Multi-Tracks Set」と新旧2つのセットを披露してくれるという。さらに、東京UNIT公演ではバンド:にせんねんもんだいとコラボし、彼女たちの演奏を彼が即興でダブミックスするスペシャルセットも。
幼少期に聴いたジャマイカン・サウンドに感化され、ON-U SOUNDをはじめ数々のレーベルを立ち上げUKダブの礎を築いたシャーウッド。
今回はそんな彼にインタビューを敢行した!

ーーこれまでにON-U SOUND以外にも、多数のレーベルをスタートさせました。設立に至った経緯を教えてください。

Carib Gemsをスタートさせたのは17歳だったな。Hit Runは19歳、4D rhythmとON-Uが22歳のときだった。
当時は今みたいにどこにでも独立したレコード屋がなかったから、最初にディストリビューション会社をスタートさせたんだ。ロンドン中のレーベルのレコードを一台のバンに乗せ、黒人が多くてレコード屋があまりないエリアを回った。
そのうち、何百とか何千枚というわずかな枚数だったけど、家内工業でレコードを作るようになって、レーベルを立ち上げたんだ。

ーージャマイカン・ミュージックとのファースト・コンタクトは?

1964年、俺が6歳の時にミリー・スモールの“My Boy Lollipop”が流行った。出会いはそれだね。
当時イギリスでは、アイルランドやアメリカの音楽をはじめ、色々な音楽がそこらじゅうにあった。本格的にハマりだしたのは、多分12歳の時だと思う。

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ーー当時はどんな風に熱中しましたか?

段階的なものだったね。エリック・ドナルドソンの“Cherry Oh Baby”とか、シマリップの“Skinhead Moonstomp”とか、ただただサウンドが良いオーソドックスな作品を聴くようになったんだ。
でも、とにかく音楽が好きでT・レックスとかマンゴ・ジェリーのような音楽やアメリカから来た音楽にも注目していた。

ーー始めてのダブ・ミックスはなんですか?

プリンス・ファー・アイに出会った時だった。
ダブ・アルバムだけをリリースするレーベルHit Runを立ち上げたころ、彼のドラマーと俺の地元のベースプレイヤーと一緒に遊びでトラックを作ってアルバムをレコーディングしたんだが、その時に彼がジャマイカで作ったリズムのテープをもらったんだ。そこに変わった楽器やシンセ、パーカッションを使い、たくさんノイズを加えてオーダー・ダブをした。
そうやって、『Cry Tuff Dub Encounter Chapter 1』(プリンス・ファー・アイのアルバム)と『Dub From Creation』(クリエイション・レベルによるHit Run初めてのリリース作品)を同時に作った。そこからたくさんダブ・アルバムを作るようになったんだ。

30年以上にわたりUKアンダーグラウンドの象徴として君臨し続けているエイドリアン・シャーウッドの伝説的レーベルON-U SOUNDは1979年に誕生。ニュー・エイジ・ステッパーズ / ロンドン・アンダーグラウンドの7インチ“Fade Away / Learn A Language”(1980年リリース)に始まり、アフリカン・ヘッド・チャージ『My Life In A Hole In The Ground』(1981年)、ロンドン・アンダーグラウンド『AT HOME WITH THE LONDON UNDERGROUND』(1983)など、設立当初から数々の名盤を輩出。
ダブ/レゲエを中心にポスト・パンクやニューウェイヴのサウンドにも接近するとともに、彼はUKガールズパンクスリッツ“Man Next Door”のプロデュースも手がけている。こうしたジャンルの結合はどういった経緯で行われたのか、ON-Uサウンドの経緯から、その確信に迫る。

ーーON-U SOUNDはどんなコンセプトでスタートしたんですか。

コンセプトなんて全然なかったね。その時は、ただただ自分のプロダクションをリリースすることに必死だった。
Hit Runや4D rhythm時代に出来た借金はかなりのものでね(笑)。小さな家が買えるくらいの借金だったから、とにかく作品を出すことでいっぱいいっぱいだったよ。

ーーニューウェイヴ系のミュージシャンとはどんな経緯で繋がりを持ったんですか。

自分の周りの全てのミュージシャン達がNYからの音楽やジャマイカからの音楽、イギリスの街の中に存在する“怒り”の音楽を聴いていた。そういった全ての要素が混ざりあって面白い音楽が作られるようになったんだ。
NYから来る音楽にはヒップホップが多かったけど、そのミュージシャンたちは親がジャマイカ人の2世で、イギリスでは、マッシヴ・アタックのメンバーやソウルIIソウルもジャマイカ人の2世だった。レゲエ集団であるON-U SOUNDと、そうした点でもみんな繋がりがあった。だからこそ、ON-U SOUNDでは、普通は同じ場所にいることがないアーティストたちが混同していたんだ。

ーーレゲエ/ダブとパンクにはどんな共通点があると思いますか。

共通点は多いと思うが、一番は人種差別に対するメンタリティ。
イギリスにも人種差別の問題があったし、ジャマイカにもバビロン・システムの問題があった。それに対しての怒りが表現された歌詞もそう。当時はみんなが怒っていたし、それを変えようと必死になっていたからね。

ーーパンク・バンドで好きなグループはいますか?

ザ・ラッツやザ・フォールは、レゲエよりだから好きだったね。ザ・ポップ・グループもファンキーだから好きだった。歌詞にもすごく共感できる。
ただ、そういったバンドはあまりパンクとして見てはいないんだ。彼らの音楽には、ホンモノの緊張感があるんだよ。あとはザ・クラッシュとザ・スリッツ。2つとも、レゲエの精神を持っている。だから繋がりを感じられるんだ。


エイドリアン・シャーウッドは、今年『Sherwood At The Control Vol.1:1979 – 1984』をリリースした。
“Sherwood At The Controls”とは、ダブ・エンジニアとしてのシャーウッドの傑作をレーベルを跨いで収録したアーカイヴという位置づけで、第一弾はON-U SOUND発足~80年代半ばにかけての作品を、2曲の未発表のレア音源含め14曲コンパイル。
先述したザ・スリッツ“Man Next Door”も収録し、長きにわたるシャーウッドのサウンド史の幕開けを飾るマスト盤となっている。


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『Sherwood At The Control Vol.1:1979 – 1984』
ON-U SOUND / BEAT RECORDS

ーー『Sherwood At The Control Vol.1:1979 – 1984』はニューウェイヴ系の楽曲を多く収録していますが、アルバムのコンセプトを教えてください。
このコンピでは、定番作品とは離れたトラックを集めたんだ。この作品に収録されているトラックについて知らない人も多いだろうということで、それを新たに紹介する目的でね。レゲエに限らず、こういう面もあるんだというのを見せたかったんだ。

ーー本作収録の“Shriekback”や“Gardening By Moonlight”では電子音が多く使われています。現在主流を占めるエレクトロ系のサウンドにも通じますが、将来この分野が伸びると考えたことはありますか?

いや、そんなことは全く考えずに、自分の周りにあるもので、一番サウンドが良くなるものを使っていただけ(笑)。俺はミュージシャンじゃないからね。

ジャマイカン・サウンドとの出会いからダブ・ミックスをスタートし、UKダブの中心的人物として40年近くに渡りキャリアを重ねているシャーウッド。そんな彼が今回、初期傑作群と最新ダブのダブルセットを伴って(UNITではにせんねんもんだいとのコラボセットも!)来日!

そんな彼がライヴにかける意気込みとは……。

ーー10代の頃からレーベルをスタートし、音楽ビジネスに関わって40年ほど経とうとしています。今でも一番楽しめることはなんですか?

一番楽しめるのはやっぱりギグだね。スタジオでの作業も好きだし、良い思い出もたくさんある。でもやっぱりライヴショーが一番やっていて楽しいし、今でも大好きだ。

ーー最後に日本のリスナーに一言!

来日公演には絶対に来て、俺に声をかけてくれよ! なんてね(笑)長い間ずっとサポートし続けてくれてありがとう。このレコードを聴いて、俺が過去に作ったレコードを再発見して楽しんでくれることを願ってる。

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