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前作「Ufabulum」から3年。奇才の名をほしいままにしてきたスクエアプッシャーがオリジナルアルバム「Damogen Furies」をリリースする。

常にリスナーの予想を裏切りつづけ、ときにはあまりにも実験的で不可解なサウンドを、あるときには荒れ狂ったようなダンス・ミュージックを生み出してきた。
言うならば、時代によって彼の音楽的嗜好は変化し続けてきた。

しかし、共通しているのは、音楽への探究心だ。しかも、それは誰もが及びつかないほど深い。
本作の発信点は、2014年に演奏するロボットを使用した作品「Music for Robots」での経験だというが、その内容とはいかなるものか?
そして彼自身の音楽への尽きない興味について語り尽くしたインタビューを、前後編2回に渡って掲載!

――「Ufabulum」以来となるオリジナルアルバムとなります。本作「Damogen Furies」の発想のきっかけはありますか?
そうだな……まず、「Music for Robots」(※)という作品を制作していたときに、前面に出てきたアイディアがあった。それをまあ、僕自身は“意識の流れ型”のソングライティングって呼んでいるんだけど。特にその中の“World Three”という作品が、そのアイディアをよく捉えていると思う。

で、本作に関して最初に考えたのは、そういう書き方の曲をエレクトロニック・ミュージックの世界の中でやってみようじゃないか、ということ。
「Music for Robots」にしたって、“ロボットのための音楽”ってタイトルからしてエレクトロニック・ミュージックだったわけだけど、あの作品はアコースティック楽器を使って作ったものだった。だから、今回はソフトウェアを使い、かつ今言ったような“意識の流れ型”のソングライティングみたいなものをそこに持ち込もうとした。

※「Music for Robots」

――今回試したかったこと、新しい側面といえば?
音楽的な発想に関して言えば、いま言ったようなことが目指したことになるし、それは「Music for Robots」から引き継いだものであって、純粋に“新しく”とは言えないんだ……だから、“新しい”という点については僕も混乱してしまう。

例えば、アイディアそのものが新しくないからっていうだけで、新しい音楽が生まれ得ないとは僕は考えていない。何か音楽を作るというコンセプト、特にそれがやるだけの価値のあるものだったとしたら、必ずや新しい音楽的なできごと・結果に繫がっていくことになると思っている。
以前に似たアイディアを用いたことがあるが、それぞれの作品は違っていた。ある音楽作品の書き方に近いことをやったとしても、2枚が似たようなレコードになることや、同じ音楽になることはないだろう。

――なるほど。
とにかく、サウンド面において本作で知りたかったのは、“意識の流れ型”のソングライティングがエレクトロニック・ミュージックの領域においてどう機能するか?だった。
頭の中には既にあるサウンドが聴こえていたんだ。しかし、頭の中で聴こえてくる音は、世に出回っている機材や市販のソフトウェアを使って生み出すのは不可能なものだった。

――想像はできていたけど、実現するのが難しかった?
そうだね。だから、そのサウンドを実現するために自分自身でソフトウェアを開発する必要があったんだよ。

そもそも、どんな機材を使うかは自分にとってはそれほど重要じゃないんだ。別にどこの製品でも気にしないし……たとえば安物のギターであっても、弾いてみて『これだ』って感じる音が出れば、僕はその安物のギターを使うよ。別に高品質の楽器である必要はないし、クズみたいな安物でもオッケー。
ただ今回の作品では、自作のソフトウェアが頭の中にあったサウンドを具体化させるための唯一の手段だったんだ。この作品は僕のレコードで初めて、自分のソフトウェアを使って全編作ったものになるね。作品の最初から最後まで、これだけ。
このソフトウェアは以前に他の作品でも使用したことがあるけど、アルバムの全編にわたってというのは、今回が初になる。そして、同時にもうひとつの発想が生まれた。それはスタジオで僕の使うセットアップとまったく同じものをステージ、ライヴの場にも持ち込もうってことだ。そうすることで、ライヴ会場での演奏に適した音楽にするためにスタジオでのオリジナルな音を変えなくたっていい、その音を出すために妥協しなくても済むんだ。

――自作のソフトウェアを使ったことで、そのレコーディング機材をそのままライヴ会場へ持ち運べるという利点が生まれたのですね。
本作を聴くと、“計算された様式美”と“既成概念からの逸脱”や、“荒れ狂う機械音”と“美しい旋律”など、相反する音楽要素が多く成立していると感じました。長年、あなたが追求してきた“テクノロジーとヒューマン”のド真ん中をいく作品と感じました。

僕は常に音楽の中の相反する要素、その衝突に興味を抱いてきたと言える。そして、それは色んな形で、音楽という状況の中に相対する要素を持ち込もうとする、自分はいつだってそこに関心を持っていたから。

だからある意味、僕の音楽は“戦場”みたいなものだ。実際の話、伝統的に“アンチ”な存在とみなされてきた音楽のアイディアというのは、他とは違うことをやる、音楽的に成り立ちそうもない正反対なことをやることだ。
……たとえば80年代の音楽シーンには、一連の対立の構図みたいなものがあったわけだよね? 一方には生演奏の楽器を尊重する陣営がいたし、対してドラム・マシーンや打ち込みの陣営がいた。それらの両要素をミックスした音楽だって存在したにせよ、どういうわけかそういう打ち込み賛成派はポップ・ミュージックに多かったし、いわゆるもっとシリアスとされる類いの音楽は、得てして生楽器と打ち込みとを一緒に混ぜようとはしなかった。
だから、僕にとってそういった“決まりごと”みたいなものが突如出てきたとき……つまり“そのふたつはまったく違うものだ”、“それらは真面目な音楽に持ち込むわけにはいかない要素だ”といった考え方が生まれたとき、それは僕からすれば理にかなってなくてね。
だから、そのふたつは対立する存在だという考え方はおかしなものに思えた。というのも、生音・打ち込みのミックスの領域は、色々とある音楽における実験の土壌の中でも、もっとも肥沃なもののひとつなわけだからね。
とは言っても、その実験が常に成功するとは限らないけどね!

――その通りですね(笑)。
そりゃそうだよ。たとえばの話、カントリー歌手を引っ張ってきて、その歌唱を思いっきりハードなエレクトロニック・サウンドに乗っけてみる、なんて実験は……それは自分としては辞退させてもらいたい、そういう“相反する要素の共存”だな。

――それは悲惨なコンビネーションになると自分も思います(笑)。
だよな!(苦笑)それは僕も興味を持てない組み合わせだし、聴きたいとも思わない。
ただ、これは僕たちがよく取材の場で話すことだけど、音楽について論評し何かを書く書き手たちの世界においては、音楽ライターやジャーナリストたちが、あるひとつの音楽概念を打ち立てて、その上でその反対に位置する音楽というアイディアを作っているわけだよ。
僕からすれば、それはちょっと作り物めいた対立図式に思えるし、聴き手たちの間では、そこまでガチガチにジャンルを命名したり“これは何か”と定義付けしようとしたり、分類することに執着していない。
要するに、もともと僕らは“対極にある”とか“相容れない何か”って捉えてはいないんだ。

――そういう概念や図式を作っているのは、常にメディア側だいうことですね。
自分がガキだった頃を考えみてほしい。自分には何が聴けて何が聴けないか、そういうルールは一切なかったはずだ。それは僕にとっては今も同じで、音楽を聴く際の決まりごとは一切ないよ。
だけどまあ、僕が楽器の弾き方を学び始めた頃に一緒につるんでいたような人たちは、シンセサイザーやドラムマシーンを使って作られた音楽をかなり見下して、けなしていた。要するに、これはバカバカしいナンセンスだ――

――“フェイク”の音楽だ、と。
そうそう!(笑)。シンセを使った音楽は正真正銘の本物じゃない、音楽の“シミュラークル(類似減少)”に過ぎない、みたいな考え方を持っていた。

で、僕はしばらくの間、彼らのその考え方に対して葛藤を抱いてね。というのも、僕は彼らのことを演奏家として尊敬していたんだ。若い頃ってそういうものだよね。他の人たちを尊敬して彼らを目指して、何かを学ぼうとするわけでさ。と同時に、尊敬の対象である彼らのそうした姿勢は、僕自身の音楽を聴く経験とは対立するものだった。
それは、シンセなんかを使って作られたエレクトロニック・ミュージックであっても、人間が実際に楽器を弾いて作った音楽……ジャズでもロックでも構わないけど、そういった生楽器の音楽を聴くのと変わりなく、心が動かされるってこと。

――そのことはあなた自身が「Music for Robots」で証明されましたね。生楽器、エレクトロニック。ジャンルも関係ないし、それがたとえ感情のないロボットが演奏しても、感動は生まれるという。
そのとおり。僕は常にその“分断”みたいなものは大体において、人為的な作り物だと思ってきたし……たとえ他の誰かからすれば対立する要素って思えるものにしても、僕はそもそもそこに衝突や葛藤を見出さないんだ。

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――とは言え、誤解を恐れずにいうと、あなたのキャリアは“テクノロジーの可能性”(エレクトロニック・ミュージック)と、フリージャズに代表される“即興の追求”に大別できると思います。
うんうん。

――「Damogen Furies」は、あなたが長年構築してきたソフトウェアシステムのみで制作され、すべてがワンテイクで収録されています。エレクトロニック・ミュージックの即興性という部分は意識しましたか?
ああ、そこは興味深い考えだよね。僕がエレクトロニック・ミュージックに関して気に入らないことのひとつは、“ただコンピューターが生み出したもの”みたく聞こえる場合があること。それは、まったく自然さに欠ける精密なだけの音楽になってしまうときのことだよ。
だけど、“自然である”ってことと、“自然なように聞こえる”のは違いがある。つまり、本作に収録された音楽ピースはすべて非常に慎重に書かれたものなんだよ。

――と、言いますと?
僕としては、ワンテイクというと、自然に発生したような感覚がある音楽だと思いたいけど、実際はとても注意深く、考え抜いて作られた、非常に細かいところまでオーガナイズされた作品だってことさ。

――計算され尽くされているということ?
……うん。ただ、そうなると奇妙な矛盾が生まれる。そうやってかなり細部にわたって慎重に作ってみて、やっと“自然である”という印象をクリエイトできるんだ。
“自然”とは対極にある精緻な作業を繰り返すことによって、“自然性”を生み出したんだよ。

――それは皮肉ですね。
でも、一歩引いて音楽の全体像を眺めてみると、“自然性”であったり、ワイルドな即興から生まれた作品という印象が残る。
僕はそういう類いの巧妙に作られたもの、人工物はいいんじゃないかと思っていてね。それはそれで惹き付けられる。
あるプロセスを経て作った音楽が、結果として実際に用いられたプロセスとはまったく異なる印象をもたらす音楽になるってことだから。僕はそこにはとても魅了されるね。

――最初に仰っていた「似たようなアイディアやプロセスを経ても、同じ音楽にはならない」ということと繋がりますね。
しかも、リスナーが音楽を聴いてみて抱く印象と、制作のプロセスの間にどれだけ隔たりがあるのかという点はとても面白いし、僕は惹かれるね。
音楽の生まれたプロセスとその聴こえ方のギャップがあったって、別に聴き手の抱く印象が間違いだってわけじゃないんだ。それはただ、ある作られ方をしたコンポジションがそうした離接状態をもたらすってことだし……僕にとっては、その事実自体が興味深い。

Damogen Furies
SQUAREPUSHER
『Damogen Furies』
BEAT RECORDS / WARP

『SQUAREPUSHER AT THE GARDEN HALL』
2015/5/15 FRI @ザ・ガーデンホール(恵比寿)
【OPEN】18:30
【TICKET】ADV ¥5,940(1D別) DOOR ¥6,500
【INFO】www.beatink.com 03-5768-1277(BEATINK)
【プレイガイド】BEATINK WEB SHOP “beatkart”
e+ / チケットぴあ(Pコード:257-891) / ローソンチケット(Lコード:73082) / tixee / Clubberia

『The Star Festival』
2015/5/16 SAT @スチール®の森(京都)
ACT:SQUAREPUSHER / DJ KOZE / ZIP / LONDON ELEKTRIC CITY / Fumiya Tanaka / PITER VAN HOESEN / MARCO SHUTTEL / LAWRENCE / AXEL BOMAN and more
【OPEN】18:00【TICKET】ADV¥7,500
【INFO】www.thestarfestival.com

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